チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調
2014/01/09
昨年末、五嶋みどりさんのベストCDを聴いていて、ある映画を思い出しました。問題の曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。映画の方は「オーケストラ!」です。
知識を蓄え再度映画を見直してみると…、数年前に見ていなかったポイント、あるいは見えなかったことが今回はよくわかるじゃないですか。思うに観賞とは見る側の問題だなぁと実感した次第です。
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五嶋みどりさんのCDはだいたい持っています。でも、ベストCDは持っていなかったので、購入したのが昨年末。みどりさんの演奏は水のごとき透明さというか、透徹したレヴェルのもの。上善水の如しで曲そのものがストレートに頭の中へ飛び込んできます。文句なく素晴らしい。
その2枚組CDの一曲目がチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。どこかで聴いたフレーズだなぁ。どこだったかなぁ。みどりさんのコンサートでこの曲聴いた? いや違うなぁ、どこだろうなぁ、そんなことを夫婦で言い合っていると、連れ合いが映画の中で出ていたなぁ、等と言い出しました。調べてみると、「オーケストラ! 」というフランス映画で、数年前私たち夫婦は観ていました。ただ、その時の印象は薄かったみたい。
早速、昨年末改めてDVDを借りてきて、年の初めに鑑賞。映画のプロット上重要な意味を持つのが、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調でした。1980年にボリショイ楽団が演奏会の途中、旧ソ連政府に妨害されて中断した曲という設定です。政府が楽団員の中にユダヤ人がいるのを嫌ったからです。
ユダヤ人迫害は戦前のナチスだけではなく、1980年当時のソ連でも日常的。そのことはポアンカレ予想を解いたペレルマンを取り上げた時にも触れた通りです。
30年後、楽団がひょんなことからパリのシャトレ座で演奏することになります。選んだ演目は昔と同じチャイコフスキー。演奏するソリストも楽団指揮者が上演条件として指定した当代きっての女性ヴァイオリニスト、その年29歳。
なぜ因縁の曲を演奏するのか、そして指定のソリストと楽団には何か因縁があるのか。音楽の世界から離れてしまった楽団員にそもそも演奏が可能なのかどうか。映画が進むにつれ、そんな疑問がだんだん明らかになっていくのがサスペンス仕立てで面白い。詳しい話は映画を是非ご覧下さい。感傷的な旋律に乗せた哀しくも前向きなストーリーに感動すること請け合いです。
さて、1度目の鑑賞で私が見逃してしまった点とはなんだったか。まず、最初は単に面白い映画だと思っていたのが、実はもっともっと複雑だったこと。そして、チャイコフスキーの旋律と軽快なストーリーの裏側にある話の奥深さにあまりに無頓着だったことでしょうか。
どういうことか。
まず問題のチャイコフスキー、主旋律はわかりやすくて印象的なのですが、なかなかの難物らしい。ネットで調べてみると、チャイコフスキーが作曲した当時、初演を依頼された有名なヴァイオリニストが「楽譜を読んで演奏不可能として初演を拒絶」したという代物でした。
また、チャイコフスキーはムソルグスキーやコルサコフのようなソ連民族派集団から距離を置いていたと云われており、その死をめぐってもいろいろ噂されています。旧ロシア時代の音楽家である彼を旧ソ連政府が嫌がり、作品が改竄されたこともあるようです。
そういうチャイコフスキーの、それも難曲のヴァイオリン協奏曲ニ長調を旧ソ連政権下で演奏するというのはどういうことなのか。おそらく、制作側はチャイコフスキーを持ち出すことで、ユダヤ問題の深刻さや干された指揮者や楽団員の心の内等を表現したかったのでしょう。
楽団解散後の暗く哀しい出来事、そして30年後の演奏会の実現という困難な状況が続くのに、映画は軽いリズムとノリでどんどん話を進めていきます。この巧さはフランス映画ならではのものでしょうか。ちなみに、ソリスト役のメラニー・ロランさんはパリ生まれのユダヤ人。
チャイコフスキーとこの曲のことを知らなくても映画は十分楽しめますが、私の経験でもそうだったように、知っていたら映画の鑑賞は随分違ったものになってくるでしょう。知識があると見える景色が違うということを再確認。