ルツェルンの思い出

.Travel & Taste music

ルツェルンへ行くのは今回で2度目、前回は1988年6月。その時の記憶がリフレッシュされて消えてしまう前に記しておきます。

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当時チューリッヒで仕事をした後、次の仕事のパリまで数日あり。日程調整も兼ねてスイスで数日ゆっくりすることにし、選んだのがルツェルン。

そのルツェルンはチューリッヒからSBB(スイス鉄道)で約1時間の湖畔のリゾート地です。チューリッヒのようなビジネス的雰囲気は少なく、街を歩くと美味しそうなパン屋さんやチーズ・ソーセージ・スイーツのお店があちこちにあり、湖上の館のようなカペル橋や美しい街並みを楽しみました。

散策途中、ショーウィンドウの美しさに絆されてついつい紛れ込んだ宝飾店は、後で調べるとカール・ブヘラ(ルツェルン本拠地の時計メゾン)の旗艦店。連れ合いはそこで淡水真珠のネックレスを購入。お店のマダムは世界一の淡水真珠は琵琶湖産と話されましたが、あれから約40年たった本家琵琶湖の実情は・・・。

一方、私は中央駅近くの時計店で心惹かれたクォーツ式のオメガを1つ。オーナーの奥様は日本人とのことで話が弾んだのが昨日のことのようです。そのお店、コロナ禍で買収されてしまい、現在同じ場所で別の名前の店舗が営業中と知ったのはつい数か月前。ゆく川の流れは云々、時の流れを感じます。

街中の至るところから山頂のお城ホテルは望めます(写真はLuzern.comから)

泊まったのはシャトー・ギィッシュ。市内のどこからでも見える小高い丘の上にある城ホテル。当時はまだインターネットのない時代で、WEBもホームサイトも電子メールもありませんでした。日本から国際郵便でホテルに問い合わせをして予約しようとするとやりとりで約2ヶ月かかるという、気長な時代でした。

昔のお城を作り替えたホテルなので部屋は狭かったのですが、眺望は最高。シャトーのレストランも優雅で美味しく、そういえばここで飲んだのがサン・サフォーラン、シャスラ種のワインでした。最近シャスラ種のワインを洋々閣(唐津)や燕(京都)でも楽しみましたが、シャトーでの経験がなければ日本でスイスワインを注文したかどうか。

2日目だったか、ホテルに戻ると若いカップルばかりの日本人団体旅行客がロビーで待機し、添乗員と思われる女性1人がフロントスタッフと丁々発止の最中。新婚旅行のツアーでした。後でフロントスタッフが私に「日本人は団体でハネムーンに行くのか」と訝しげに問うたので、スイスでは団体での新婚旅行はありえない話なのでしょう、きっと。現在日本人のパスポート取得率は2割を切って海外旅行自体が減っているのに加え、新婚旅行とかに行かない人も増えているのですから、今は昔。あの時の皆さん既に60歳以上と思われますが、その後恙なしや。

ついでながら山頂のホテルから車以外で街中へ出るにはフニクラを使いました。♪フニクラ、フニクラ、フニクラ〜〜って歌ご存じ? あのヴェスビオス火山の登山鉄道の名をもじっていますが、ここでは山頂ホテルと市街地を結んでいるケーブルカー。トコトコ上り下りするのが面白くて何度も楽しみました。

余談ですが、このシャトーホテル、その後の不況で宿泊業をやめ、レストランやイベント会場として運営していたようですが、新オーナーによって改築され、2013年に蘇りました。部屋数を減らして部屋面積を増やし、室料もかなり上げたみたい。嬉し悲しですね。

湖畔からケーブルカーでPilatus山の麓まで(写真はスイス観光局より)

またルツェルンからちょっと足を伸ばせば、ピラトゥス山(2110m)やリギ山(1797m)等の山頂へロープウェイやケーブルカーで気軽に登ることができます。ただ、軽装で登ってしまったので、雪の残った山頂付近がちょ〜寒くて凍えそうだった覚えがあります(苦笑)。

Pilatus山へのロープウェイは最新型。昔はもっと素朴だったような・・・(写真はスイス観光局より)

そのルツェルンで美術館も行こうと出向くとあいにく休館中。いずれまた訪れたいとその時思ったのは今回の予兆でしょうか。その後その美術館は1998年に建設されたカルチャーコンベンションセンタールツェルン(KKL)の一部になって蘇りました。そのKKLが今回向かう音楽祭の主会場です。

現在のルツェルン音楽祭は、1938年ナチスのオーストリア併合でザルツブルク音楽祭から閉め出された演奏家たちを中心に始まったとのこと。今では世界有数の音楽祭となり、ヨーロッパを中心に著名演奏家やオーケストラが集まります。現在日本各地で開催される音楽祭はこういうのをモデルとして踏襲しているのでしょう。今年の音楽祭は8月12日に開幕しましたが、私たち夫婦が出かけるのはもう少し後。楽しみです。