完全なる証明

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完全なる証明マーシャ・ガッセン「完全なる証明」 青木薫訳 (2009 文藝春秋)

ポアンカレ予想を解いた数学者の物語。グリゴーリー(グリーシャ)・ペレルマン、その人の哀しい話といえばいいのか、それとも俗とは別世界の潔い話といえばいいのか、読後感は複雑。

どうしても解けなかった問題を解決したのだから、普通だったら華々しく栄えあることになるはず。でも、当の本人は100万ドルの賞金や著名な賞を拒否しただけでなく、メディアの取材からも逃れ、行方をくらましてしまいました。なぜ? それを追及したのがこの本。

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著者は、同じく旧ソ連で数学のエリート教育を受けていたマーシャ・ガッセンさん。でも、国家によるユダヤ人差別を逃れるため家族ごと米国へ移住。現在はジャーナリストとしてロシアへ戻っているとのこと。

主人公のペレルマンもユダヤ人。旧ソ連でユダヤ人がどういう扱いを受けていたのかも知らなかった私には驚くような話が出てきます。ナチスだけでは終わらぬ差別にまずびっくり。

ユダヤ人が学問をすることだけでも大変な世界で、いかにして彼が勉学の道に進くことができたか。それはつまり、スターリン官僚主義のもとで歪められていた旧ソ連の教育に対し、多くの人がいかに抵抗してきたかを露わにすることにもなっています。

ソ連の学者といえば、みんな一枚板で厄介な連中だと思っていた私にはかなり驚きの連続で、サハロフだけじゃないんですね~。
とくにコルモゴロフ等が差別に屈しなかった下りには彼の偉大さに初めて気づきました(というか、コルモさんが好きになった)。そして、ヒトの逞しさというか、まっすぐな筋の通ったヒトはどこの世界でもいるのだと確信させます(サンクス)。これだけでもこの本を読む価値がある位です。

本では、それら気骨なある人たちが国家の苛めからペレルマンをガードし、彼の才能を開花させるべく、あれこれ尽力していく様子を詳説。その甲斐あってというべきかどうか、成長したペレルマンは誰も解けなかった難問中の難問を解く栄誉を手にします。しかし、そこから話はがらりと様相を変えてしまうのです。

数学界は彼が正しく問題を解いたかどうかも即断できず(だって、もともと解けない問題だったから)、最高級学者を数人寄せ集めて試行錯誤しつつ成果を判定するのに数年。その間、彼の業績を剽窃しようとする著名数学者やその弟子まで登場したりで、まるでドロドロな小説の世界。あげく、本人は俗世間のごたごたに嫌気が指したのか、メディアを拒否し、最後は行方不明と相成ります。

詳しい話は本を読んでいただくとして、私にもひとつだけわかることがあります。純粋な理論の世界の住人というのは、俗な世界とは無縁だということ。むしろ、そうでないと純粋な理論を縦横無尽に操れない。不肖私が数学者の道を諦めた?のもこの点で、この世で生きていく限り純粋な世界などというのはあり得ないと悟ったから。

でも、ペレルマンは違いました。世界最高級の数学者や母親にガードされ、彼の日常は純粋数学理論で遊ぶようなものだったようです。でも、それが華やかな成果を出したとたん俗なモノに晒され、堪らなくなって逃避行をしたのではないか…というのが著者の云いたいことのようです。そうかもしれません。でも、彼本人の弁すら取れない状況でははっきりしたことはわかりません。

読み終わって、なにかしらモノ哀しさを感じてしまいました。でも、一方で爽やかな清々しさみたいなものもあるのはなぜなのか? それがずっと気になって仕方ありません。

ちなみに、この本、数学の知識なしでもオッケイ。ポアンカレ予想がどういう問題なのかを知らなくても本は愉しめます。