日航123便墜落事件の闇(1)〜はじめに〜

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先日、森永卓郎氏の著書「書いてはいけない~日本経済墜落の真相~」を引用しながら、日航123便墜落事件の問題に言及しました。私自身この事件の闇の深さを全く分かっていなかったという反省を込めて、改めて日航123便墜落事件に関する文献を読み込み、考えてみました。

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なぜ今更、39年も前の墜落事件を問題にするのか。実は私は、日航123便墜落事件は「海上自衛艦がミスをして、ミサイルか模擬標的機を日航123便の垂直尾翼に当てた事件で、自衛隊と日本政府は懸命に隠している」と考えていました。でも、本当は、業務上過失致死事件ではなく、業務上過失を隠蔽するために大量殺人を行った事件だという疑念が出てきました。そう考える根拠について、6回に分けてご紹介したいと思います。

日航123便の機体の事故前の写真(1984年4月16日撮影):ウィキペディア「日本航空123便墜落事故」から転載

まず最初は「垂直尾翼」について。1985年8月12日、相模湾上空を航行中の日航123便の「垂直尾翼」が破壊脱落しました。その原因について、日本のマスコミの多くは「ボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁の破断」と喧伝し続けました。でも、後部圧力隔壁が破断した場合に必ず起こる客室の急減圧は起こっていません。一方、垂直尾翼の中央部に作用した異常外力は人工的な飛翔物と考えられます。

次は、今まであまり注目されなかった「第4エンジン」と「水平尾翼」について。「第4エンジン」と「水平尾翼」は御巣鷹の尾根の墜落地点ではなく、そこから約700mと約600m、離れた地点で発見されました。この事実から、高度3050mを航行中の日航123便の「第4エンジン」と「水平尾翼」は凄まじい外力によって脱落したことが分かります。「第4エンジン」と「水平尾翼」を失った日航機は制御不能となり高度3050mから急落下して45秒後に御巣鷹の尾根に墜落しました。急落下し始める直前にもの凄い横揺れがあったという生存者の証言もあります。

3回目は、公式発表されていないファントム2機について。日航123便が異常事態発生で「スコーク77(国際救難信号)」を出したのは18時24分ですが、自衛隊のファントム2機が百里基地から発進したのは日航機墜落後の19時01分と公式発表されています。でも、その時刻以前の18時35分頃と18時40分頃にファントム2機が目撃されています。公式発表されていないファントム2機は何をしていたのでしょうか。公式記録に記載されては困る理由があるのでしょうか。

F4ファントム(JIJI.COM「F4ファントム壮行式」より転載)

次は、音声記録(操縦室用音声記録:CVR)について。航空事故調査報告書によると音声記録の調査担当者は自衛隊研究室の職員でした。海上自衛艦の「公試」のミスで、ミサイルまたは模擬標的機が日航123便の垂直尾翼に当たって破壊してしまった状況証拠などを考えると、自衛隊関係者は利害関係者であり、音声記録の調査担当者として最も不適切です。「第4エンジン」と「水平尾翼」が凄まじい外力によって脱落したことを考えると尚更です。

5回目は、米空軍の元中尉アントヌッチ氏について。事件当日にC130H輸送機に乗務していたアントヌッチ氏は、事件後箝口令を受けました。退職した氏は事件の10年後に発表した手記で、米軍横田基地の管制官が日航123便に横田基地への着陸許可を出していたこと、日航123便がレーダーから消えたため、横田管制からC130H輸送機に捜索依頼があり、19時20分に墜落機残骸を発見したことなどを明らかにしました。この手記から日本側の公式発表の矛盾点を考えていきます。

最後は、緊急着陸の妨害について。アントヌッチ氏の手記で、米軍横田基地の管制官は日航123便に横田基地への着陸を許可し、日航機長と英語で交信していたと推定されます(音声記録からは削除されています)。高度を下げて横田基地に近づいていた日航機の機長は、18時46分に日本語で「このままでお願いします」「このままでお願いします」と2回繰り返していますが、日本語での交信相手の返答は音声記録からは削除されています。「このまま横田基地に着陸させて下さい。お願いします」という意味だったと考えられます。この懇願を拒否した日本側の応答が明らかになれば、誰が横田基地への緊急着陸を妨害したのかが明らかになります。

今年も8月12日が近づいてきました。1985年8月12日の日航123便墜落事件でお亡くなりになった520名の方々のご冥福を心からお祈りします。そして、真相が解明されることを願いつつ、上記の6つのポイントについて順に考えてみたいと思います。(IZ)