ゼロリスク指向は平常時の考え方

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私の周りを眺めると、新型コロナのワクチンを打ちたくないと考える人は日頃安全な農産物を求めたり、食品添加物や微量発がん性物質を問題にするような安全性に敏感な人たちが多く、ワクチンに対してもゼロリスク指向。でも私に云わせれば、これは「月並みな国」の、つまり平常時の論理。今が非常時であるという認識はないのでしょうか。

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出典:読売新聞オンライン 英国でも経済再開で感染拡大か 

明日はまた今日と同じような日が来る、そう考えるのは「月並みな国」(Mediocristan)。この平常時の論理は非日常的世界では通用しない、そう説明したのがナシーブ・タレブの『ブラックスワン』でした
はたして今私たちはどちらの世界に暮らしているのでしょうか。

人類初めての遺伝子ワクチンには未知の危険がある、あるいはワクチン接種時の副反応がこわいので遠慮したいというのは、いわばゼロリスク指向。

この考え方そのものは個人の信条や信念みたいなものですが、宗教化してしまうと理性的な判断ができなくなるのは行動心理学の教えるところ。とくに副反応で尻込みするのは合理的な解釈ではありません。

前例のないワクチンですから長期的な影響がわからないのは当たり前。接種後に高熱や筋肉痛などの副反応が出る場合があっても、新型コロナに罹って死亡するリスク(2%弱)に比べれば副反応で重篤化するリスクは無視できるほど小さく、ワクチン接種を躊躇う根拠にはなりません(追記1)。

思うに、ゼロリスク指向の根底にあるのは現状認識の違い。たとえば、飲み水が得られず脱水症状を起こして死んでしまいそうな環境をイメージして下さい。手に入るのが泥水しかないとすると、そんな汚い水でもどうやって飲むかを考えるのが非常時の対処。一方、飲み水基準を満たしていないから飲めない・飲まないというのが平常時の考え方。生きるか死ぬかの瀬戸際でどちらを選びますか。

今現在、世界中に新型コロナウイルスが蔓延し感染被害は継続中。社会活動・経済活動は大きく制限され、飲食業や観光業そしてそれに連なる業界はひどく疲弊しています。こんな状況を平常という人はいないはずですが、非常時でもないと考えていたら現状認識が間違っています。

ひょっとすると感染禍はすぐに通り過ぎるとタカを括ったり、非常時だと認めないことで平常心のメンタルを保っているのかもしれません(追記2)。


じゃ今が非常時ならどうすればいいのか。最も優先されるべき考え方はサバイバル、つまり何が何でも生き残ること。ワクチンでその可能性が大きく向上するのですから接種はマスト、私はそう考えます。そういうことから、ワクチンを打たないと考えるゼロリスク指向の人たちには今が非常時であるという認識が欠けているような気がしてなりません。

感染し重症化すれば貴重な医療資源を圧迫します。また、未接種者は接種者に比べ、家族親族あるいは付き合いのある人たちをより危険に晒すことになりますが、それでも構わないと考えるのでしょうか。

基本的なことをいえば、ワクチンを打つも打たないも個人の自由です。でも、打たないという「自由」を選んだ以上、今後は旅行や外出外食が制限され、感染すれば自身の重症化や運悪ければ死亡リスクという代償をも引き受けることになります。

実際のところ、ウイルスがウヨウヨしている現況で経済活動を再開させると感染拡大は避けられません。でも、人類が対応ワクチンを手に入れた今後は、未接種者の入店規制、出社禁止、就業制限などが感染対策として出てくるのは必然で、シンガポールや欧米で未接種者に対する行動制限はその実例です。

この行動制限は素っ気なく云ってしまえば、自己都合や勝手な解釈でワクチンを打たない者はそれなりの代償を覚悟せよ、という考え方の反映です(きっぱり)。これを権利侵害や差別というのは平常時の理屈でしかありません。(持病やアナフィラキシーでワクチンを打ちたくても打てない人には手厚いケアが用意されるべきです、念のため)


最後に。本サイトをご覧の人にはゼロリスク指向の人が多そうなので尚更、「非常時には非常時の対処が必要」であることを知ってほしいと強く願う次第です。

(追記1)副反応やブレイクスルー感染を殊更大きく取り上げる新聞テレビ。不妊に繋がる等という根拠のないフェイク情報を流したり、先のシンガポールの話を元データも辿らずワクチンには効果なしと結論づける医者等々にはマヤかされないように要注意。

(追記2)今が非常時なんて大仰な・・・と思ったなら、認識不足。仕事がなくなったり収入が落ち込んだりする人が自身の周りにいないだけではないでしょうか。そういう認識ではいつのまにか緊張感がなくなり、感染拡大に繋がります。健康は失ってからその大切さに気づくといいますが、新型コロナも同じく、感染して重症化してから事態の大きさに気づいても遅いのです。