日常と非日常 月並みの国と果ての国

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明日は今日の延長だと考えるのを日常というなら今は非日常。新型コロナウイルスの感染がどこまで広がるのか、いつ終わるのか、被害の影響はどうなるのか、なかなか予想が立てにくい。そういう非日常的な世界を「月並みな国」の論理で対応しようとしたら、どうなってしまうのか。世界各国がメチャクチャなのを見るにつけ、改めてブラックスワンを読み直そうかと思う昨日今日です。

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ここ数日LA在住の友人から毎日のようにメッセージがピロンピロン届きます。それも臨場感いっぱいの写真つき。曰く、LAでは非常事態宣言が出た、街が喧噪やでぇ、お店の前に8時過ぎから長蛇の人!、店にモノがない、米国人がマスクをつけるようになった、銃器店にも人が殺到している等々、いろいろです。

最後の話は、アジア系の人たちがコロナ禍で犯人扱いされ罵倒されたり襲われる事件があったため、自衛で銃器を手に入れているらしい。でも、それは1週間前の話で、現在はどこもかしこも感染者だらけ。特段アジア人が云々ではなくなってきました。

ところで、日本の感染者があまり増えておらず死亡者も比較的少ないという実態は、深刻な欧米に比べると評価に値します。一つには国民皆保険制度で医療を受けやすい環境があること、2つ目はリスクに対する警戒心ある国民性かもしれません。いずれにしても、関係者の尽力に感謝したいところです。

一方で、深刻さを増してきたイタリアやイラン、そしてフランス等々。これらの国々は観光だけでなくビジネスでも中国との関係が深いこと、おまけにアジアの地域災禍と考え、怖がるべき危険性をナメてしまったこと等々があるのでしょう、きっと。また、イタリアや米国での拡大の影には医療制度の不備があるという識者の分析もあるようです。

さて、株式市場をはじめ金融市場は総崩れ。2割ダウン3割ダウンと下値を更新しながら、4〜5年前の価格に戻ってしまいました。でも、まだ底は見えません。いったいどこまで落ち込むのでしょうか。また、有事の金といわれるゴールドの価格も下がってきたのは資金繰りに窮した人たちが換金売りに走っているせい、らしい。これもまたリーマンショックの時とまさしく同じ。

そういう時にどうしたらいいのか。タレブは著書『ブラックスワン』の中で、月並みな国(Mediocristan)と果ての国(Extremistan)という用語を持ち出し、月並みな国の論理で生きていると、ブラックスワンが棲む非日常的世界では通用しないという話をしました。そして非日常に対処するためにはどうしたら良いのか、それを提案したわけです。

そのシンボルが、いるはずのない黒い白鳥(ブラックスワン)。Bプラン好きな私には我が意を得たりで、日本語翻訳が待ちきれず原書で読んだくらいです(日本語訳も優れているのでお薦め)。

かくいう拙宅の金融資産も今回のドロップでベコベコ。前もって災禍を予測できるわけもなく、こういう時にはどうしようもありません。ただ、1987年のブラックマンデー、1990年のバブルショック、2000年のITバブル、2001年の燃料電池バブル、リーマンショック等々を何とか切り抜けてきた経験ありで、何をすべきか、はっきりしているし、今のところ想定内でメンタルの余裕あり。

何をするのか。私の場合は以下の通り。消えたものに執着しても仕方なし。裕次郎の斧、あるいは十兵衛の右目を考えます。こういう時に私がやっているのは選手交代。今まで資金面でなかなか買えなかった銘柄や、より伸びそうな会社へ入れ替えるわけ。これなら損切り(ロスカット)の後ろめたさから解放されます(笑)。

50年分のリターンの半分は極端な10日の相場によるものだという証拠!

タレブ曰く、「過去50年、動きの大きかった上位10日を除くとリターンは大きく変わる」とのこと(17章図12、2007時点です、念のため)。言い換えれば、とんでもなく大きく下がった時が財産を殖やしたい人には絶好のチャンスだということ。かといって、欲絡みの底値狙いは失敗の元。入念な資金計画の下、冷静にどうぞ(と、自戒を込めて)。