取り付け

.opinion 3.11

ギリシアでは銀行預金を引き出す人が殺到しているそうな。昨年辺りから同じようなニュースが流れていましたが、今回は先の選挙ゴタゴタで加速しているそうです。(ロイターのニュース等)自国のユーロからの脱退を国民が折り込んで資産防衛に走っているというわけでしょう。
経済評論家の山崎元さんがこの話と原発とを対比させ、信用危機の本質に迫っていますが、誰のための議論なのか視点が曖昧。

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週刊ダイヤモンド 2012年5月26日号(今週号)の中の連載記事で山崎さん曰く、不謹慎かもしれないが大変面白いと断りつつ、最近の原発問題は銀行の取り付けのような「信用」の問題になっているとのことを指摘しています。

どういうことかといえば、

原発の危険性、放射能の害についての情報開示に問題があったために、原発推進側の説明を誰も信じられなくなっている。こんな状況で科学的な話を持ち出しても、不信感でいっぱいの人たちには何を云っても無理。原発の再稼働を進める場合には多くの人々の「精神的コスト」が問題になるのだ・・・

とし、それは

銀行の取り付け騒ぎが起こって、さらに中央銀行や政府の信頼性も「信じると損をさせられるのではないか」と疑われるような状況に似ている

というわけです。例として、日本のバブル崩壊後の金融不振やエンロン事件後の会計不信を挙げています。

たしかに議論としては面白い。信用問題という切り口にも納得です。でも、何かしっくりきません。

原発問題を情報開示の不手際による信用危機だといってしまうと問題の本質から遠ざかってしまいませんか? だって、311が起きてから原発問題がわき起こったのではありませんからね(危険性を知らなかった人にとって、311前と後では話が違うという主張はわかります)。

最初の最初から国民を欺き、安全神話を振りまき、都会から離れた田舎を札束で叩きながら進めてきたのが原子力開発であり、原発推進でした。信用危機が起こる前から、問題は山積され、それを当たり前のように受け取っていたことこそ、まず問われるべきです。

それなしでは、今までウソやゴマカシで原発を進めてきた電力会社や国への批判的観点が曖昧になり、理不尽にもフクシマで被曝してしまった多くの人々の艱苦も感じられなくなります。それが誰にとって得になる議論なのか。

原発問題を取り付け騒ぎに走る国民の精神的構造だけで説明しようとすると、(山崎さんご自身の意図がそうでなくても)「被曝を強制する側」のご都合にぴたりとハマるかもしれません。やっぱり、「被曝を強制される側」の視点がない原発論議は、庶民にとっては要警戒です。

(追記)私自身は山崎さんの持ち出す、原発のコストベネフィットとか、節電による人的被害等ということも、そもそも安全神話を作り出し原発を推進するためのマヤカシだと考えています、念のため。