あぶない水道水 以後

Water

未練がましくも記憶がある間に水道水絡みの見解を整理。

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私が『あぶない水道水』を上梓したのは1996年。阪神大震災の翌年でした。本を書くから仕事辞めていいかと連れ合いを説得して公務員を辞めたのが1990年6月ですから、6年もの歳月をかけていることになります。

今日にいたり、15年前に書いた見解が変わったかというとそれは全くありません。ただ、新しい事件が起きたため、説明が古くなってしまった部分はいくつかあります。たとえば、原虫クリプトスポリジウム。

1996年越生町のクリプトスポリジウム事件が起きました。事件は校正の時だったので、むりやりねじ込んで本で少し触れました。その後、同じく1993年ミルウォーキーで起きたクリプトスポリジウムで40万人感染100名死亡事件をもう一度掘り起こそうと考えたテレビ朝日のYディレクターに依頼され、1997年夏ミルウォーキーとシスコへ。その成果は9月7日の「サンデープロジェクト」で生出演して解説しました。

また、1998年夏オーストラリアのシドニーを襲ったクリプト事件も驚愕でしたが、日本のメディアではあまり話題になりませんでした。でも、先のミルウォーキーもシドニーもこのHPで丹念に時系列で紹介していますので参考にして下さい。

また、上梓以降、私自身勉強したのが給水配管問題。家を建てなければ決して知ることのなかった細々としたことがよくわかりました。

98年当時は北海道拓殖銀行や山一証券が破綻していった頃。世の中がどんどん落ち込んでいくような感じで、こんな時期こそお金を使うべきだと云っていたら、じゃ家を建てようという話に。どうせなら自分がこれぞという仕様の水道設計や太陽・雨を活用できるような家にしようと夫婦で相談。そして、水道管を取り巻く厄介な話に巻き込まれていきましたが、おかげで鉛管問題や水道設備の規制緩和などについて理解を深めることもできたのです。この辺は『あぶない水道水』には出ていませんが、水道水の安全性を解説するためには欠かせないポイントであることも実感として理解できたところ。自宅の建築記などにあれこれ書いています。

その後、オリジナルの『あぶない水道水』のエッセンスに、その後の事件や自宅建設の経験や知識を加えて新たにまとめ直したものが次の、

あぶない水道水 袋小路の水道パラダイム  土木学会誌 2001年7月号(vol.86-7)所収

でした。コンパクトに私の見解を整理しています。私にチャンスを下さった土木学会編集委員会の某先生には今でも感謝の念でいっぱいです。水道関係者からシカトされている私の見解ですが、大勢の土木学会関係研究者からは有意義なご意見ご批判を頂戴できました(すべて土木学会HPのどこかで公開されているはずです)。

一方で、もう少しわかりやすく書いたものもあります。

蛇口の向こう側 雑誌『技術と人間』2005年8・9月号

こちらはQ&A方式で、簡単に水道水問題を理解しようという試みです。残念なのは、この原稿を載せた雑誌『技術と人間』が休刊前最終号であったこと。2011年3月まで残っていたら、原発問題で一番の情報源となったはずの雑誌でした。実際、中川保雄さんの本も今中哲二さんらの報告書もチェルノブイリ原発事故の本も、ほとんどがこの出版社でしたからねぇ。ホンマに残念。

とにもかくにも、上記2つの書き物が『あぶない水道水』以後の私の見解を補完するものとなっています。水道料金とか財政問題とか手をつけていないものがあるけど、1996年当時は能力不足だと思ったからでした。今なら書けるかもしれませんが、気力がわきません(苦笑)。