蛇口の向こう側

Water

下記は雑誌『技術と人間』2005年8・9月号に掲載された拙文で、過去に発表したり、お話してきたことを簡単にQ&A方式で整理したものです。内容には目新しいものはありませんが、小難しい話がキライな人でも読めるようにエッセンスをまとめています。この雑誌は本号でいったん廃刊とのことで、偶然ながら拙稿が最終号に掲載できたことを光栄に思っています。…

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蛇口の向こう側

水道水は安全か
                  有田一彦

A(質問者)・最近ミネラルウォーターが売り上げを増やし、浄水器を使う人も増えています。おそらく水道水への信頼感が薄れてきているせいだと思いますが、実際のところ、水道水は安全なのかどうか。いろいろと教えて下さい。
B(筆者)・話をわかりやすくするため食べものと対比してみましょう。皆さんは食べものの安全性を考えるとき、いったい何に注意を払いますか?
 まず、原料の内容はどうなっているか。製造や加工の工程に問題はないか。私たちの手元に届くまでの品質管理はどうなっているのか等について知りたいと思うはず。生産者の信用や情報開示の姿勢にも関心があるでしょうし、購入時には品質表示の内容にも目を向けるのではないでしょうか。では、水道水についてはどうですか。同じように考えているでしょうか?
A・そうですね。野菜なら産地はどこか、無農薬や有機栽培なのか、製品なら添加物の内容にも注意します。品質管理に問題があったり、情報隠しをする会社の製品はお断りです。でも、水道水については…あまり考えたことがありません。
B・では水道水も同じようにみてみましょうか。

水源環境失格

A・水道水の原料といえば、水源の水のことですね。
B・そうです。水道水という製品は河川や湖沼の水、あるいは地下水などを原料にします。厄介なことに、まず最初の原料となる水源の水質悪化が顕著です。上流の下水・し尿排水や農業排水が流れ込んで富栄養化していたり(窒素やリンの濃度が高くなり、プランクトンの異常増殖を引き起こすこと)、正体不明の工場や産業廃棄物関連施設があったり、水源環境にとっては非常に好ましくない状況が全国各地で起きています。安全な飲み水の原料としては残念ながら失格です。
A・人口が増えたり産業活動が活発になると、良質の水源を確保するのがどうしても難しくなるのではないですか?
B・その通りですが、水源保護の可否はまず法制や政策があるかどうかで判断できます。たとえば、ドイツをはじめとする西欧の国々では水源の地域指定を厳格にし、その地域における産業活動の禁止や制限を行うことで水源の保護に努めています。一方、日本には同様の規制はありません。この違いは水道水の安全性を確保する上で致命的です。
 現在の水道技術は、明治から昭和の最初にかけて西欧から導入しました。その頃の水が比較的きれいだったせいか、西欧水道で最も大事な、そして基本でもある水源保護の考え方や施策をほとんど学ばなかったようです。飲み水を自然の恵みととらえる前に、技術で作り出せるモノだと錯覚したのでしょう。

浄水処理の限界

A・水源の水が少々汚れていても、きちんと処理すれば問題ないのでは?
B・食べものとの対比で考えてみて下さい。製造加工で無害化処理を行うので原料に汚染があっても問題なし、とメーカーが説明したら、皆さんはそれを受け入れるでしょうか?
A・処理の内容にもよりますが、イヤですね。水道水の場合、浄水場での処理は当てにできないのですか?
B・浄水処理にも限界があります。浄水処理とはまず、原料である水源の水に薬品を加えて凝集ぎょうしゅう沈殿させ、それから砂でろ過する方法が一般的に用いられます(それ以外もあり)。加えて、塩素消毒を行うことで病原性の細菌やウイルスに対抗しています。この処理では水の濁りを取り除き、衛生的に問題のない水を作り出すことはできますが、必ずしも重金属や合成化学物質の除去を目的としているわけではありません。
A・浄水場で取り除けない有害物質とは何ですか?
B・濁り成分よりも微細なモノで、ろ過を素通りするものは除去できません。たとえば、水銀などの重金属類や微量の有機物質がそうです。その上、ここ一○数年来、水道関係者を震撼させている病原性原虫も。
A・えっ、それはどんな微生物なんですか?
B・米国のミルウォーキー市で、水道水を飲む四○万人以上が感染し、約一○○人が死亡するという事件が起きました(一九九二年)。原因は水道水中に混入したクリプトスポリジウム。この微細な原虫は浄水処理ではうまく除去できず、塩素消毒でも死滅しないため、そのまま蛇口の水に入ってきたのです。健康な人にとっては下痢や腹痛で済みますが、免疫機能が低下した人には重篤で、場合によっては死に至ります。日本でも埼玉県越生町で約九○○○人が感染するという事件が起きていますし(一九九六)、オーストラリアのシドニー市では原虫汚染の疑いで数ヶ月間、なま水を飲まないことを市民に求める『なま水警報』が発令されました(一九九八)。汚染源が畜産排水や下水し尿排水にあることを考慮すると、いつまたどこで起きても不思議ではありません。
A・おそろしい話ですね。対応策はないのですか。
B・クリプトスポリジウムは熱に弱いため、いったん沸かせば問題はありません。私はずっと『なま水を飲むな』と言い続けてきましたが、クリプトスポリジウム事件でその確信がより強まりました。
A・浄水場で問題になる有害物質は他には何か?
B・トリハロメタンという名前を聞いたことがありませんか。水道水中の微量有機物質と消毒用の塩素が化学反応を起こして生成する有機塩素化合物で、とくに問題になったのはクロロホルムです。三○年ほど前にその発がん性が話題になりましたが、幸いその後の動物実験で当初考えられていたよりも有害性が低いことが確認されたので(ヒトの一生涯で一○万分の一程度の発がんリスク)、あまり神経質になる必要はありません。でも、クロロホルム以外の有機塩素化合物についてはよくわかっていませんから、過剰な塩素消毒は早急に見直していく必要があります(塩素消毒をやめろという意見は水道技術を知らない者の無謀な意見です、念のため)。
 脇道にそれますが、このトリハロメタンに対する消費者の不安感をうまく利用したのが水道当局で、その対策と銘打ってオゾンや活性炭ろ過処理という『高度処理』に莫大なお金をつぎ込んでいることも知っておいて下さい。
A・ちょっと待って下さい。『高度処理』を導入することで、今よりも安全でおいしい水が手に入るのでしょう? その何が問題なのですか?
B・浄水場の処理を強化すれば、たしかに水質はよくなります。でも、その追加コストは水道財政を圧迫し、水道料金に跳ね返ります。大切なのは財政的にバランスのとれた対応だったのですが、まぁそれは横に置くとして、水質的に厄介なのは蛇口の水が浄水場で処理した水とは違うという事実です。

水道管も汚染源

A・浄水場から家庭に水が送られてくる間に汚染が起きるということですか? 
B・そうです。途中の水道管も水質悪化の原因になります。たとえば、水道水に金属臭を感じたり、赤い色がつくのを見たことがあるでしょう。それは腐食した水道管から鉄等が溶け出しているからです。いくら浄水場で水をきれいにしても、水道管で水質が汚染されてしまえば、安全でおいしい水にはなりません。
A・異臭味や色だけの問題ですか?
B・それだけではありません。水道管にはいろいろな種類があり、最近話題のアスベストをはじめ、いろいろな有害物質が溶け出してきます。一番注意してほしいのは鉛です。鉛は神経系への毒物で、発育障害や発がん性も明らかになっています。その危険性の深刻さゆえに、いろいろな用途での使用が控えられてきましたが、水道水経由の鉛は未だ認識不足なのか、対策が非常に遅れています。
A・既に鉛の水道管はほとんど取り替えが済んだと聞いていますが、それでもダメなのでしょうか?
B・たしかに比較的大きな管の取り替えは進みました。でも、住居内にある水道管や関連設備の鉛は放置されたままです。水道メーター、弁、水道栓(蛇口)や給湯設備に使われる銅合金は鉛を五%前後含みますし、数年前までの塩化ビニル樹脂(塩ビ)管には安定剤や改質剤として鉛化合物が使用されていました。これらが水道水にゆっくりと溶け出し、水質基準以上の鉛を含む水を作り出します。つまり、大きな鉛水道管の取り替えだけでは問題は解決しないのです。
A・それじゃ、どうしたらいいのですか?
B・本来なら、蛇口に至るまでの経路にある鉛を含む水道管や設備を取り替えるのが一番ですが(筆者宅の建築ではできるだけ排除)、もっと簡単に鉛の濃度を水質基準以下にする方法はないこともありません。後で説明します。

品質を保証しない水質基準

A・品質管理に相当する水質基準については、どうでしょうか?
B・水道法において飲料水の水質基準として五○項目が定められています。鉛やカドミウム等の重金属や有機物質、大腸菌などの微生物などがそうです。でも、これらは水道当局の事業運用のための指針・目安のようなものでしかありません。
A・もうひとつわかりにくいので、質問を変えます。ときどき水質基準を超える水道水が検出されたとの報道を耳にしますが、被害についてはそれほど話題になりません。なぜですか?また、当局の水質基準違反の責任は法令的にどうなるのでしょうか?
B・いい質問ですね。実例をあげましょう。今年二月北海道の岩見沢市等で水道水から発がん性物質のジクロロメタンが基準の二○倍以上も検出されるという事件が起こりました。浄水場内の補修工事から混入したらしいのですが、報道発表は送水後数日経ってから。つまり、住民は飲んだ水が実は水質基準を超えていたと後で知らされたわけです。一過性だったので深刻な被害にはならなったのが幸いでしたが、水道関連の法律には罰則規定がありませんので、水質基準に違反があっても誰も責任をとりません。TVや新聞の前で頭を下げれば、それでオシマイです(皮肉です)。
A・では、水質基準の存在価値とはいったい?
B・欠陥だらけの水質基準ですが、水源との関係で考えるとその意義は大です。もともと、わずかな水質項目で品質保証をしようという考え方の背景には、清浄な水源の水が確保されていることが前提になっています。きれいな水源の水であれば処理も水質検査も最低限で済みますからね。基準の項目数が多いとか、数値が厳しいから水道水は安全なのだというのは、『安全性の考え方』でいえば本末転倒です。

ミネラルウォーターもいろいろ

A・食べものとの比較で水道水を考えると、ずいぶんポイントが明確になってきました。ところで、最近ミネラルウォーターを飲むのが当たり前のような風潮があります。この傾向はいつ頃からでしょうか?
B・業界の統計をみると、一九九○年くらいから消費量がどんどん伸び始め、現在は年間一六三万キロリットル(二○○四)、一人当たり一年に一三リットルで、八○年代の約一八倍にも増えています。
A・なぜ、そんなに消費量が伸びたのでしょうか?
B・TVや新聞で繰り返されるコマーシャルに影響されている面もあるのでしょうが、水道水への不信感や不安感が売り上げを伸ばしてきたことは間違いありません。また、海外旅行をする人たちが増え、瓶詰めの水を飲むことへの抵抗感がなくなってきたこともあるでしょう。ところで、ミネラルウォーターの水質についてご存じですか?
A・知りません。水質に何か問題があるのですか?
B・ミネラルウォーターについても原材料、製造工程、品質管理等について注意を払うべきです。原材料となる水源状況はいろいろですし、製品水質は製品認可の時の書類申請だけなので、メーカー側が毎日の水質試験を行っているわけではありません。ミネラル成分が含まれていなくてもミネラルウォーターと名乗ることができますし、再処理した水道水を瓶詰めにして製品化することもできます。製品の品質管理もピンキリなので、ときどき製品に異物やカビ、あるいは有害物質が検出されたという報道が出てきます。緊急用非常用に瓶詰め水を在庫するのは有用ですが、嗜好性と必要性を混同した議論には乗らず、個々の商品の内容をたしかめて下さい。あ、もうひとつ。飲み残しを何日も放置すると細菌汚染の水になります。ご注意下さい。

蛇口の先の浄水器

A・浄水器はどうでしょう。こちらも水道水への不安感から売り上げが上がっているようですが。
B・業界統計によると年間約三七六万台が販売されています(二○○四)。販売数そのものは一九九一年以降あまり増えていませんが、交換カートリッジの販売高はこの一○年で二倍にもなっています。また、業界の調査では全世帯の約三分の一が浄水器を使っているとのことですから、同じ家庭が何回か浄水器を買い替え続けている勘定になります。
A・浄水器って必要なのでしょうか?
B・水道水の水質に問題がなければ、いりません。でも、程度のひどい赤水や異臭味が出てくる住宅では、浄水器は選択肢のひとつとなるでしょう。一般的には、粒状活性炭と中空糸膜のろ過機能を持つ一万円前後までの製品で十分です。ただ、カートリッジはきちんと定期的に交換するように。そうでないと、わざわざ水道水よりも質の悪い水を作ってしまいます。ちなみに、私の場合、浄水器を使う必要のない水道水が得られるので使っていません。
 あまり高価なものや特殊な技術を使ったものは過剰仕様ですし、悪質な訪問販売の道具にもなっています。また、アルカリイオン整水器等の類似品には科学的根拠がありません。これもまたご注意下さい。  
 
どうしたらいいのか?

A・水道水って知らないことだらけみたいですね。では最後に、毎日の暮らしの中で安全な飲み水を手に入れるために私たちにできることを教えて下さい。
B・まず、なま水を飲まないこと。調理に使う水は、火にかけるなら問題ありませんが、直接飲む水は沸かすのがベターです。沸かすことで、さきほどのクリプトスポリジウムのような病原性微生物に対抗できますし、一部の重金属を不溶化させることもできます。ただ、野菜や食材を洗ったり、歯磨きの時にまで沸かし水を使わなければならないほど神経質になる必要はありません(深刻な原虫汚染が起きた場合は必要)。
 二番目に、流し始めの水は使わないこと。長時間使わなかった蛇口の滞留水には鉛などの有害物質が多く含まれていると考えられます。だから、朝一番の水であれば前の晩にくみ置きしておくか、それが無理なら最初にバケツ一杯分くらいの捨て水をどうぞ。これで給水装置から溶け出してくる鉛等の濃度は水質基準よりも一桁以上減らせるでしょう。
A・たったその2つだけですか?
B・侮ってはいけません。慣れないと面倒ですし、落とし穴もあります。たとえば、レストランや喫茶店で出てきた水を何の疑いもなく飲んでいる人の方がほとんどではないですか?冷たい飲み物に入っている氷にも無警戒でしょう?自宅の氷を作る時に一度沸かした水を使っている人はいったい何人いるのでしょうか。
A・そうですね。外国を旅行する時にはなま水を飲まないとか、氷に注意するということはありますが、日本にいる時には考えもしませんでした。
B・幸い現在の水道水質程度なら、先の2つを守らないとダメだとは私も云いません。でも、なま水を飲まない、流し始めの水は使わないという2点はふだんから習慣づけておくのが肝心です。水道水に対する根拠のない信頼を見直すチェック機能としても、毎日有効に働くはずですから。
A・安全な水を手に入れるために、他にすべきことはありませんか?
B・飲み水の安全を確保するには水源の清浄さが一番です。水源環境の保全や保護を無視した日本の水道行政は遠からず破綻します。だからといって安易に浄水器やミネラルウォーターに頼り切ってしまうと、問題の本質を忘れ、破綻を早めてしまうかもしれません。
 水道水に不快な色や異臭味がついていたら、泣き寝入りせずに行政当局にクレームを出しましょう。そうでないと、水道当局は消費者が満足していると勝手に解釈してしまいます。異臭味がひどく飲めない水道水にはお金を払わない、そういう強い態度も場合によっては必要です。 
 また、できることなら雨水利用に挑戦して水の使用量を減らすことを考えてみて下さい。一人一人の取り組みでも、数が集まれば理不尽な水源開発に対抗し、水源環境を守る大きな動きに繋がります。
 水道水にも食べものと同じように、原料や製造工程そして配送過程や品質管理について、できる範囲で少しづつ関心を払ってみてさい。政治と同じく、無関心がもっとも危険なのです。

(ありた かずひこ エコライター 
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*この原稿は(株)技術と人間の許可のもとに掲載しています。