チェルノブイリとフクシマの避難基準の違い(補足) 

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チェルノブイリ原発事故の後、旧ソ連でどういう避難基準が作られたかを紹介したら、反響が大きいのでちょっと驚いています。ただ補足すべきことが1つ。チェルノブイリではその避難条件を国からのアテガイだけではなく、住民が苦しみながら自ら選び取ったということ。これを忘れてはなりません。

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チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日。当時のソ連政府は事故を隠蔽し、被害をできるだけ小さく見せるように画策しました。それに対し、ある者は真相を暴くような映画を作ったり、別の者は被曝の実態を細かく調査したり、またある者は国の代議員になって放射線被曝の実態を公開させていったのです。中央政府が民のことを考えてくれたというのではなく、草の根の民がそれぞれの創意工夫で、それも圧倒的中央集権国家の旧ソ連の中で立ち上がったからこそ、生き残る道が開けたのではないでしょうか。

住民が当局の指示を待たずに避難した例もあります。例えば、チェルノブイリ原発から南へ120kmのキエフ市(人口250万人)では、当局は当初「住民の避難は必要ない」としていました。しかし、避難する住民が続出し、事故19日目の5月14日にキエフ市内の学校が閉鎖され、こども達を含めた住民100万人が避難したとのことです。

避難法制も、豊かな財政状況の中で出来たものではありませんでした。原発から30km圏内に住む約12万人の避難は事故後10日以内に行われたとされているものの、それ以外の避難義務や避難権利の法的枠組みができたのは1991年。つまり、事故が起きてから5年後の、それもソ連が崩壊し、国全体が滅茶苦茶になって避難対応に使うお金もほとんどないという時期になってからのことでした。

そんな困窮の中、ベラルーシではどうしたかというと、1992年に給与の18%分の特別税を徴収し(94年は12%、96年は10%。農業は免除)、事故影響を低減するための資金の60%をまかなったとのこと。ベラルーシとしては1991年から97年にかけて国家財源の約10%を充てて対応しています。この出費の中心が移住計画の実施費用でした。つまり、民から集めたなけなしの血税によって国が生き残るための移住計画を進めたわけです。日本でこれができるかどうか、それが今私たちに問われているのではないでしょうか。

お金? あるでしょ? 原子力環境整備促進・資金管理センターに電力会社の積立金3兆円があります。政府がその気になれば、すぐに使えます。また、こども手当などを被災地のこども達に優先的に回すという手もあります。また、消費税率は5%のまま、益税をなくして何兆円か税収を増やすという手もあるでしょう。これらを福島などからの避難移住資金に充てるというのはどうでしょうか。頭を使って知恵を絞る必要があると思います。

(おまけ)チェルノブイリ原発事故を考える時、その地理的な位置関係を知らないと何の話をしているのか、よくわからない状態になります。そこで、簡単なものを以下に載せますので参考にして下さい。A地点がチェルノブイリ。原発はウクライナにありますが、ベラルーシとの国境付近です。

(参考書)
今中哲二編「チェルノブイリ事故による放射能災害」(技術と人間 1998)
広河隆一『暴走する原発』 (小学館 2011) 等