蓋然性 あるいは probability

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ルービン回顧録ルービンさんの本を読んでいると、蓋然性というワードが頻繁に登場します。おそらく、原著ではprobability のことだろうと思うのですが、まさしくその頻度の高さこそがこの本の価値を後押ししているような気がします。

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「下半身」クリントンの下で財務長官だったルービンさん。ゴールドマンサックスがその社会的使命からズレ始め、強欲的に変身するちょうど過渡期の共同CEO。その彼の人生を振り返ったのがこの本です。

ある本で、彼が「先のことはわからない」という見解の下に、人生や物事を考え評価してきたことを紹介していたので、どげな話やろかね〜と読んでみたら、たしかにそうでした。そして、氏がそのことを若い頃から理解し実践してきたことを知ると、少し羨ましくなりました。だって、私がホンマにその見解に至った(いや、悟った?)のは心臓病で死にかかってから。まぁ比べても仕方ないので、それはさておき…、蓋然性についてちょっと。

この本で登場する蓋然性とは、哲学用語の蓋然性つまりprobability。言い換えれば、確率probabilityで評価できる性質のことです。日本語でprobableといえば、「たぶん〜だろう、ありそうな、あり得る、起りそうな」(英辞郎)という訳になりますが、本当の意味合いは確率に評価できる可能性のことを指しています。

一方、似たような用語にpossibleというのもあります。日本語でいうと「可能性{かのうせい}がある、起こり得る、あり得る、なし得る、実行{じっこう}できる、できるだけの 」(英辞郎)。これだけだったら、先のprobableとあまり変わらない。でも、こちらは確率的にはなかなか評価できない可能性、つまりありそうだけど、その存在が頻度的量的にはっきりしないモノを指します。つまり、probableとpossible、どちらがより起こりそうな事象を示しているかといえば、明らかに前者。ここが大違いなんですね。

このことがわかる例として、IARC(国際がん研究機関)の発がん性分類があります。グループ1は発がん性のあるもので、グループ2はヒトに対して発がん性のある物質、グループ3はヒトに対して発がん性があるとは分類できないもの、グループ4は発がん性がない可能性が高いものと分けられています。このグループ2には2Aと2Bがあり、発がん性の強さでいえば前者の2Aの方が高いと考えられています。これを英語で書くと、前者は「probably carcinogenic」、後者は「possibly carcinogenic」。ほら、でてきましたね。

前者は確率的に評価できる発がん性、後者は確率的な評価は難しいけど発がん性はありそうという意味ですから、和訳なら「発がん性が高い」と「発がん性がある」とすれば違いが出て、probable/possibleの区分けも可能になります。でも、それを意識的に読み取れるかどうかは読者次第。

ついでながら云えば、「高い」と「ある」の境界は曖昧で微妙です。そこは、えいやっとどこかで線引きするしかありません。発がん性でいえば、一生涯に10万人に1人くらいが死亡する超過危険性があるかどうかというのが現在の基準といってもいいのでしょうが、じゃ10万人の0.9人ならどうだとか、11万人に1人ならどうかと云われると誰も答がありません。だって恣意的に線を引いているだけだから。

かく云う私、1987年の秋までprobable/possibleの意味の違いを明確に把握していませんでした。「茗荷谷」で米国人に教えてもらうまで知らなかったのですが、その時の驚きというか、知らなかった悔しさよりも、目の前がぱっと開けたような気がしたことを鮮明に覚えています。おかげで英語の毒性物質に関する文献の理解が大いに進むことになりました。

この辺の違いをわからないジャーナリストや研究者は今でも日本に多く、ときどきprobable/possibleの意味を同列に扱ったり逆にしているのを見かけることがあります。私だって、この違いを知らなかったら、おそらくトンチンカンな理解と評価を今でも繰り返していたことでしょう。ルービン本を読みながら、そんなことを改めて思い起こす次第です。知らないというのはコワイものだという話としてお聞き下されば幸いです。