泊まるアートな時空間 美山荘

.Travel & Taste

一度訪れてみたいと思いながらなかなか叶わなかった宿、それが美山荘。運良く機会を得て先週出かけたところ、予想以上に侘び寂びな処で大満足。清逸な山奥に清楚な佇まいの数寄屋造、あり得ないような槙のお風呂に美味しいお料理・・・。時の流れがここだけ違うのではないかと思わせる雰囲気の中で、時空を超えるモノの価値を強く感じる次第です。

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美山荘に辿り着くまでの道程の難儀さは前回紹介した通り。京都市内から鞍馬寺方面へ、さらにクネクネの花脊峠を越えて北上し、大悲山口から東へ折れて小道をしばらく走ると、急に視界が開けて平らな谷間の空間が現れます。そこが峰定寺の境内で、門前に在るのが美山荘。

美山荘はもともと寺の宿坊として始まり、1937年に料理旅館に増改築。宿の出自を知らなかった私はお寺と宿が一体化しているのに少し驚き。

宿はお寺を北にみて左側が母屋(本館)で、道の右側川縁に宿泊用の数寄屋造の建屋が4つ。美山荘は前者を「山の棟」、後者を「川の棟」としています。


ここへ来て、まず感じたのはノスタルジー。映画か小説に登場するような山村の佇まいが何とも懐かしい。もう1つ強く感じたのが異質な時間感覚。時間がほとんど流れていないかのような、そんな奇妙な錯覚を覚えます。「タイムマシンでどこかの時代に戻ったような感じ」とでも云えばいいのでしょうか。

美山荘には余計なものがありません。もちろん、旅館なので室内に電灯やスイッチなどはあります。でも、テレビや時計はなく、細かいインストラクションや湯沸かしセット、冷蔵庫の料金表も何もありません(必要なら持ってきてもらえるので心配なし)。

一言でいえば、侘び寂びの世界。侘びが「不足の美」で、寂びが「時間経過とともに表れるモノの本質」だとすると、この宿の信条は侘び寂びの具現化、龍安寺の「吾唯知足」等に通底するシンプル主義なのでしょう。

ただ、侘び寂びを極めるにはコストがかかります。そこがミニマリズムとは違うところ。考えてもみて下さい。今の時代にこの宿のような普請をしようとすればいったいどれほどお金がかかることか(注)。未来に向かって維持しようとすればさらにお金がかかります。まさしくパラドックス!不条理な世界ですね。


私たち夫婦が泊まったのは「石楠花」のお部屋。名栗の広縁の大きな窓から樹々が見渡せ、川のせせらぎも聞こえて、安らげる部屋でした。宿の方々との話も楽しく、料理も美味しくて、ついつい飲み過ぎたのが反省点(爆)。

自然の中でゆっくり時の流れを楽しむ、というのがこの宿の真骨頂です。なんでもありな今風の旅館サービスを期待する人には肩すかしかもしれません。でも、そうでない人にとっては「なるほど! こりゃいいなぁ」ではないでしょうか。

なんやかんやで、侘び寂びの真髄とは時間と空間を超えることかもしれないと感じた次第。季節を変えて再訪したいものだなぁと夫婦で話合っているところです。


(おまけ)瓢亭の高橋さんが4代目に向かい合った時の映像はこちらからどうぞ

(注)造作は1930年代なので今ほどコストはかからなかったのかもしれませんが、当時の経済事情を勘案するとやはり破格の建築でしょう。また、お部屋だけでなく槙のお風呂が凄い。高野槙の風呂といえば柊屋もそうですが、美山荘のお風呂は木の大きさも造りも圧倒的。聞くところによると、中村外二棟梁はこの手のお風呂を美山荘とロックフェラー邸の二箇所に造ったとか。ここで使われたようなアンビリーバブルな槙の一枚板はまだ手に入るのでしょうか。もう手に入らないなら(モノがなければ)、価値は無限大!?