へうげもの と 桂離宮
2017/12/01
漫画『へうげもの』が終わってしまいました。週刊モーニングで連載していた古田織部を主人公にした漫画のことです(山田芳裕 漫画)。最終回は完全なフィクション仕立てなのですが、これがとっても面白い。
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古田織部がどんな人物か知らなくても、織部写しな食器はよく使われていますので、どこかで見たことがあるかもしれません。その織部を主人公にしたのが漫画『へうげもの』でした。
この漫画、司馬史観やNHK大河創作とは一線を画し、たとえば織田信長を殺したのは秀吉という設定だったのが痛快。というのも、明智光秀の子孫が史料を丹念に読み解いた結果、本当のところは従来の話とは少し違うことがだんだん分かってきているから(背後にいたのは家康で、秀吉はそのことを利用したという解釈)。そんな新事実をうまく漫画に取り入れていることからしても、作者の山本芳裕さんはタダモノじゃない。
一昨年佐川美術館(滋賀)で「没後400年 古田織部展」(2015/10〜11)が開催されました。いそいそ出かけていくと、会場には漫画『へうげもの』の漫画キャラがデカデカ。どうやら漫画人気にあやかっているみたい。
その会場には織部の茶器ほか、いろんなものが展示されていましたが、圧巻は京都の楽家が所蔵する織部茶碗。今ここに織部さん自身が置いたかのような雰囲気にびっくり。あんなものがこの世に在ったとは驚きです。
話を元に戻します。漫画の最終回は織部が家康に自害させられた後日談で、作者曰くフィクションになっています。ここで登場する人たち見ていてあることに気づきました。みんな桂離宮に関係するんですね〜。
まず建仁寺の如庵。漫画では名前が出ていませんが、如庵といえば織田有楽斎。次が宇治の興聖寺。3つ目は熊本の八代城で細川忠興。4番目が広島の上田宗箇。それら会話の中に登場するのが小堀遠州や光悦らです。
皆千利休のお弟子さんだし、織部とは関わりの深い人たちであることは漫画の中でも詳しく触れられているのですが、面白いことに皆が桂離宮の建造に関わっていくんですね〜。
ちょうど先日桂離宮を訪れた後、『京の職人衆が語る桂離宮』(笠井一子 草思社)を読んでいたのですが、この本でその訳がよくわかりました。どういうことか。
桂離宮とは智仁親王の離宮ですが、智仁親王は子どもができなかった秀吉がいったん養子にした経緯があるのです。その後秀吉に実子ができたので、代わりといっては何ですが八条宮家がたてられたというわけ。
ところが八条宮は秀吉所縁の人物だから家康幕府は気が許せない。そんなこんなで宮さんは文芸や風流にのめり込み、作り出したのが桂離宮。その建造に集まってきたのが光悦、遠州や松花堂昭乗ら(松花堂弁当!)の豊臣系文化人。つまり、桂離宮は豊臣にシンパシーを感じていた当時の文化人の「美意識の結晶」といってもよいとのこと(出典は右の笠井本)。
この記述を読んで、桂離宮で感じた雰囲気や造作に関するいろんな疑問や謎が氷解しました。庭園のソテツは島津藩からの献上だというのも納得です。面白いなぁ。
『へうげもの』作者の山田さん他、スタッフの皆様、面白い漫画作品を世に送り出していただき、ありがとうございました。
さぁ、『へうげもの』を読んで桂離宮へ行きましょう。理解が深まります(きっぱり)。