ヒロシマ・ナガサキとフクシマ その2

.opinion 3.11

次に、米軍が実態を隠蔽した後に登場したヒロシマ・ナガサキでの被曝調査について振り返ってみましょう。
その手助けとして、中川保雄さんの『放射線被曝の歴史』(技術と人間 1991)を引きながら整理してみます。

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中川さんがABCC(原爆傷害調査委員会)についてまとめたのは、次の5点(p.97)。

 

  1. ABCC調査では、被曝後数年の間に放射線被曝の影響で亡くなった被曝者多数をすべて除外
  2. 爆心地近くで被曝し、その後市外へ移住することを余儀なくされた高線量被曝者も除外
  3. ABCCが調査対象としたのは被曝者約28万人余のうちの4分の1で、重点は爆心地から2km以内の被曝者
  4. 高線量被曝者を低線量被曝者と比較対照するという誤った方法を採用(非被曝群を対照とすべきだった)
  5. ABCCは、若年層の欠けた年齢的に片寄った集団を調査

ABCCが調査対象としたのは1950年10月1日に広島・長崎に在住し、市と近郊に本籍を有する者のみでした。原爆投下は1945年8月です。その5年後の住民を相手に被曝調査をしたので、原爆投下後5年間に亡くなった人や市外に移住した人は被曝調査の対象になっていません。つまり、被曝でたくさんの人が死んだのに、「被曝で亡くなったのではない」とか「被曝していない」人たちにされてしまったのです。

また、ABCCが被曝者と比較するために選んだ対照群は、爆心地から2km以上離れた場所の住民でした。2km以上離れても被曝の影響はあるはずなのですが、当時は残留放射線の影響はないと政治的に決められていたせいもあってか、2km以遠の被曝者は被曝者ではないことになってしまいました。さらにいえば、ABCCのいう被曝者とは「有意な放射線量を浴びた者」のことで、具体的には爆心から2km以内で被曝し、「脱毛、紫斑、口内炎」の障害にかかった者だけ。この枠組みで被曝影響を調べたとはとても言えないでしょう。

原爆で被爆した人々や黒い雨が降った地域などで放射線被曝を受けた人々のうち、5年以内に死亡した人、市外に移住した人などは「被曝者ではない」ことにされ、被曝者の人数は大幅に少なく見積もられました。そして、被曝影響のある2km以遠の人と比較することと5年以内の死亡を除外することで、2km以内の被爆者の被曝実態も過小に評価されてしまいました(2km以遠で被曝した人々を「健常」として比較したため)。このような調査から得られた結果は、被曝者の被害実態からかけ離れたものになっています。つまり、真相は闇の中。

こういう事情を知ってか知らずか、多くの学者は広島長崎では甚大な晩発障害や遺伝障害は報告されていないと説明します。多くの被爆者を切り捨て被曝実態を隠した上で「はい、これが実態です、遺伝障害は報告されておりません」と云う学者は研究不足なのか、それとも原子力マフィアの手先なのか。いずれにしても、彼らは「被曝を強制する側」でしかありません。

要するに、ヒロシマ・ナガサキの被曝被害は世界核戦略の流れの中で封印されています。そして、その学者の流れをくむ人たちが今現在、福島県のリスクアドバイザーになっていたり、官邸の助言者になっていることに私は恐ろしさを感じざるを得ません。ヒロシマ・ナガサキとフクシマは、悪い意味で確実に繋がっているのです。フクシマを真摯に考えるためにはヒロシマ・ナガサキから振り返る必要がありそうです。