池田香代子さんの言い分 決死隊になるな
2011/05/16
フランクル「夜と霧」等の翻訳者である池田香代子さんのブログに「決死隊になるな」というのがありました。新聞タイトルにあった原発作業の「決死隊」というコトバから考えた話ですが、1945年の特攻隊と重ねた考察は一読の価値ありです。
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話は池田さんが訳した本に移ります。
「夜と霧」、ご存じですか? 著者のフランクル医師が、ナチスがユダヤ人を迫害した捕虜収容所での体験を綴ったものですが、内容が凄まじい。そして恐ろしい。
ナチスの残酷さではありません。それはよく知られていますから私がとやかく云うまでもないでしょう。あまり知られていないのは、この本で指摘するような、迫害されたユダヤ人そのものの内部でも階級意識が生まれ、自分のわずかな優位性を保つためにナチスに同調しながら同胞のユダヤ人をさらに迫害していくという実態の方です。ヒトの本性というか、そんなドス黒い部分を見せつけられるような感じになり、暗澹たる気分になってしまいます。
翻訳はもともと別の人の手になるものでしたが、90年代になって池田さんが新たに訳し直したものが今出回っています。
311の話になぜ「夜と霧」なのかと訝しく思う人もいるでしょう。でも、アウシュビッツの時代や先の大戦時の日本と今を比べて、私たちの時代は平和で安心できるものになったのでしょうか。いいえ、「決死隊」とかのコトバがそのまま新聞紙上に登場すること自体、状況的に今が昔と同じ雰囲気なのを池田さんは指摘していますし、私もそう思います。
「夜と霧」という不思議なタイトルは、「夜陰に乗じ、霧にまぎれて人々がいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回し」で、翻訳した池田さんは訳者あとがきで、「夜と霧はいまだ過去のものではない」とし、「相変わらず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい」と書いています。(第二稿)
なんか、池田さんの「決死隊になるな」コメントと「夜と霧」を無理やり繋げてしまいました。云いたいことは1つ。マヤカシ、ゴマカシに翻弄されず、目覚めていたい、これですわ。