野坂昭如の予言と私

.opinion 3.11

野坂さんには、「ぼくは予言しておく。原発事故がおこる…」で始まる予言があります。

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ぼくは予言しておく。原発事故がおこる、さればお国は、世間全般が、家中みんな電気で動く文明生活を求め、電力によって支えられる産業を、すすんで担ったからだ、一億二千万、つつしんで犠牲者にザンゲしましょうと呼びかけるに違いない。
(野坂昭如 広瀬隆『東京に原発を!』(1986 集英社文庫の解説より)

野坂さん、当たりましたねと素直に云えません。というか、この国に原発事故が起こることは、少なくない数の人たちがずっとずっと怖れてきたこと。

不肖私もいくつか起こって欲しくないことがありました。まず、この国が戦争を始めること。次に水道水経由で大規模な感染症が起きること。そして原発事故で悲惨な事態に陥ること等々。2番目が起きた時、大本営発表に対抗するためにはどうしたらいいのか、何ができるのか。それが私に課された使命?だと密かに考えてきましたが、そっちじゃなくて3番目が先にやってきてしまいました。

いったい何をしてきたのかと自問。学生時代に大学からの放射能漏れを告発したり、デタラメな放射性同位元素の取り扱いをめぐって2つの学科の実験研究を1年間ストップさせたり、原子炉実験所の前に座り込んだり、そんなことに関わってきました。でも、それらは反原発・脱原発の決定打とはなり得ません(当たり前か)。

脱原発をめざし、商用電力に頼らない生活をどうしたら実現できるのか、そのことは心の片隅にずっと残ったまま。が、水を専門分野に選んだ自分にとってはメインの懸案事項ではありませんでした。

ただ自宅を建てる時には夫婦で相談し、ちょっと気張ってソーラー発電を導入。蓄電すれば電力会社と縁切り可能と考えました。個人がそんなことをやっても電力会社はびくともしませんが、小さな小さな例がたくさん積み重なることでいずれ電力会社を追い詰めることができるはずと期待してのこと。

一方で蓄電装置がまだまだ実用的ではないという理由から、完全縁切りには手を出せずじまい(高価で廃棄物が厄介)。自宅にエアコンをつけないことで対抗手段をとっても、夏の暑い日には来年はエアコンつけようか等と話題になるほど、なかなか暑苦しく、毎年のように挫ける一歩手前まで行ってしまいます。

コンセントはエアコン用。これを使わずに行こうと考えているが…

今回の事故に際し、なぜもっと手が打てなかったのかと悔やむとともに、考えるべきことはたくさんありそうだと痛感しています。本サイトであれこれ書き綴るのも、今が非常事態の、その時だと思うから。

誰しも危険のスガタを目の前にしないとそのカタチがわからない。これは仕方ない。原発だって危険だとわかっていても、事故ったら何が起こるのか、前もってイメージできていた人は少ないはず。

でも、今回の事故で原発の危険性に気づいたでしょう? そうですよ、とんでもない事態になるんです。まだそのことがわからないのが国や地元ではないかとヤキモキしています。

とりあえず福島第一原発の燃料棒の冷却作業が上手くいって一段落してほしい。でも、このオトシマエはきっちりつけなければなりません。

政府や電力会社はウソツキだらけだし、TVや大新聞は大本営発表機関。日頃偉そうなことを云う司会者や有識者みたいな連中は使い物にならないどころか悪辣。彼らは総じて「ヒバクを強制する側」か、その片棒担ぎであることを世間に知らしめました。国家とか企業とかメディアの本性を見てしまった現在、私たちがやるべきことは、機会をとらえて「ヒバクを強制される側」として声をあげていくことでしょう。

できることは人それぞれですが、それでも 

と声をあげていきましょう。それが私たち自身のためであり、今回の被災者に対する仁義であり、未来の被害者を出さないための礼儀ではないか。野坂さんの予言を改めて読んでそう思いました。

(レベル7の原発事故って、初めからそう云っていた人はたくさんいましたね。そんな人たちのコメントくらいTVで出せよねって思いませんか?)