ヒバクを強制される側の視点(その1)

.opinion 3.11

事態の落ち着き所が見えない不安の中、放射線医学関係の御用学者たちが暴走中。100ミリシーベルトの被曝ではがん死亡率は0.5%だけの増加(10万人当たり500人)だから問題ないと云うのは論外。原子炉付近で作業していた人の被曝については、被曝が250ミリシーベルト(mSv)以下だから安全だと言う。その理由を尋ねられると、今回基準を100mSVから250mSvへ引き上げたから…とのこと。おいおい、 何云っているんだ!恥を知れ!

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100mSvを250mSvにしたのは決して安全性を担保するものじゃなくて、そうしないと福島第一原発内での作業ができないから。苦肉の策に過ぎません。命がけで危険な作業を担ってもらって本当に申し訳ありません、そう説明するならともかく、便宜的に作り出した基準で「安全」評価をされてしまったら、作業している方々は報われません。その上、作業する方々の一部にしか被曝線量計を携帯させていなかったというのですから、悪質です。本来装着するべき被曝線量計を携帯できないまま作業して被曝した方々は、被曝したこと自体を否定されかねません。こういう実態が「ヒバクを強制する側の論理」の現れです。

『放射線被曝の歴史』(1991 技術と人間)を書いた中川保雄さん(故人、神戸大教養部)の言葉を再度繰り返すと、以下の通り。

「今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむをえないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。」

平和利用という美名の下で、この国の放射線被曝研究が如何にして原子力発電や核兵器開発に加担してきたか、中川さんはこの本で解説しています。中川さんの言い分を煎じ詰めれば、放射線被曝研究の歴史とはヒバクを強制する側とヒバクを強制される側とのせめぎ合いの歴史である、ということ。原子爆弾から始まり、広島長崎、ビキニ環礁での核実験、セラフィールド再処理工場、スリーマイル原発にチェルノブイリ原発事故、そして日本だけでなく各国機関の規制や基準制定を経年的に追いながら、そのことを検証しています。

以下、中川さんの本を参考にしながら、「その2」以下で被曝研究の経過を整理してみましょう。

ヒバクを強制される側の視点(その1)
ヒバクを強制される側の視点(その2)
ヒバクを強制される側の視点(その3)
ヒバクを強制される側の視点(その4)