今は昔

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昔、昔といっても30年くらい前の話ですが、世の土建勢力が考えた海の淡水化計画に待ったをかけた大学教授がいました。その待った自身は複雑で間接的なものでしたが、そのおかげで当局は、その教授が委員長である委員会の結論が得られず、新たに委員会を組織しなければならなくなりました。これがメディアには登場しない諫早湾干拓問題前史。上記の事実は山下弘文さんが著した書物にも記載されています。…

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その教授は当局とそれに寄り添う大学に反旗を翻したようになったせいか、当時いた大学にいづらくなり、当時併任していた別の大学に完全に移りました。そのことを間近に見ていたせいでしょうか、その教授の下にいた人たちは、つまりお弟子さん筋のこと、当局と争うと冷や飯を食らうことを身にしみて勉強したようです。

その教授先生、その後考えを変えたのか、80年代以降は急速に行政にすり寄っていきました。その方の著作に感動し、環境問題の考え方の基礎を教わった多くの人たち(私含む)は、その経過に落胆。でも、そのお弟子さん筋で一番世間受けする方はさらに先鋭的に行政にすり寄り、水資源の保全が大切だ等と国営放送で立派なことをいう一方で、ダムで水没する地域に出かけては水資源開発の重要性なんて講演を行ったりしていたことも私は知っています。その方、今では教授が追っ払われた大学の(別の学科の)教授に収まるまでになりました。

そして今日、私の地元の、滋賀県が進める、この国のごみ問題をドツボに落とし込む大型広域廃棄物計画を承認するかのような演説を議会委員会で披瀝し、行政の提灯持ちであることをまた実証しました。

30年前には斬新な発想で環境問題に取り組んでいたはず?の人が、ごみを出さない社会づくりという大きな世界の流れを全く理解できずにいることに、私は妙に納得感を感じてしまいました。感心したのではなく、改めて呆れたという意味です、念のため。その方にとっては、自然とともに生きていくというライフスタイルなど絵空事なのかもしれません。