本地垂迹

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資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言ホンチスイジャク、恥ずかしながら昨日まで知りませんでした。正確にいえば、辞書的な意味は知っていても全く内容を解していなかった。ときどき自分に呆れかえることがありますが、これもまさしくその1つ。あ~ぁ。

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たとえば、wikipediaによると、「・・・仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え」となっています。何のことだかわかります?私にはチンプンカンプン。それが中谷厳さんの「資本主義はなぜ自壊したのか」(集英社インターナショナル 2008)を読んで、目の前がすっきりしました。曰く、

日本人は古代から自然との共生を重視し、木や岩あるいは泉のような自然物を神として崇める一種のアニミズム的信仰を有していた。でも、本来自然崇拝のない仏教が伝来されても、それと対抗するのではなく、古代からの神道と見事に融合させてしまう。古代ギリシアやローマ、そしてカトリックとプロテスタントの争い、それに昨今のブッシュ米国が仕掛けたイラク戦争からわかるように、欧米人は征服相手の宗教を根こそぎに廃絶しようとしますが、それとは大違いの寛大さ!

もともと自然崇拝に起源をもつ神道を崇めてきた日本。皇祖皇宗だけが神道ではなく、大木や巨岩に八百万の神々がいるというものですが、そこに仏教がやってきた時にそれらを両立させるために考え出されたのが本地垂迹説だというわけです。

仏教の教えが時空を超えた永遠の真理とすると、真理ですから、古代日本にも普遍的に在ったはず。そうであれば仏様は日本の最初から存在したと考えなければ辻褄が合わなくなる。そこで、日本の八百万の神々というのは仏様が化身となって現れたものと考えたらどうか。いや、考えるべきではないだろうか。これが本地垂迹のキモとなっています。なるほど。作り話とはいえ、ロジックの整合性をそれなりに合わせていますね。

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強欲なグローバル資本主義で滅茶苦茶になった現代を救うのは、そういったバランス感覚のある思想ではないか。それが中谷さんの見解ですが、なかなか考えさせられます。

もともと小泉竹中の前振りのような役割を果たした氏ですが、今は後悔し、先の本は懺悔の書だとのこと。今更何を・・・という前に読む価値がある本だと私は思いました。中味が濃く示唆に富んだ内容満載です。amazonでの評価がきわめて低いのも逆に興味深い。私はお薦め。