重症化するのはほとんど高齢者

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新型コロナウイルスによる国内死亡者が1万人を超えたという速報が一昨日流れました。この3ヶ月で倍増です。1万人といえば、ヨーロッパのスイス、オーストリア、あるいはギリシアと並ぶ死亡数。でも、その内訳を見ると、重症化して亡くなっているのはほとんどが70歳以上の高齢者で、若い人たちの死亡率はきわめて少ないことがわかります。この事実を考慮すれば、行動規制すべきは高齢者の行動であり、必ずしも飲食店や百貨店などではないはず。

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データでみてみましょう。既に死亡者は1万人を超えたとのことですが、本日朝時点で私には4月21日の統計しかアクセスできないため、その時点での話。東洋経済ONLINEによると、年齢別感染者及び重症者死亡者のデータは以下の通りです。

橙色が死亡者で、60代以上の階層に橙色が認められます(それ以下の年齢層にも亡くなった人はいますが、数がかなり少ないので橙色が見えません)。このデータから内訳の数字をまとめたのが下表で、5929人(80代以上)、2135人(70代)、670人(60代)、300人(50代以下)、53人(年齢不詳)となっています。

全年令でみると感染者の死亡率は1.7%。各国でも似たような数字ですから、感染して亡くなる割合というのは万国共通でしょうか。ただし、年齢別に見ると様相が変わってきます。というのも、死亡者の88%は70代以上、60代まで含めると96%。つまり、感染して亡くなるのは、いわば年金世代の高齢者なのです。

若年層の死亡者を1人1人検討していくと、年令以外の要因(基礎疾患や免疫不全や肥満状態など)が浮かび上がってくるはずなので、感染すると厄介な状況になるのはほとんどが高齢者であることは明らか。つまり高齢者の感染対策をどうするかが鍵になります。

行うべきは本サイトでも何度も繰り返しているように、高齢者の行動規制。先に紹介したグレートバリントン宣言で提唱する集中的保護、つまり「死亡リスクが低い人々には普段の生活を許し、自然感染を通してウイルスに対する免疫を獲得するようにし、一方リスクが最も高い人々は保護するのがよい」というものです。でも日本ではそういう対応はやりませんでした。

昨年来、国が行ってきた感染対策は若年層も高齢者もいっしょくたにした愚策で、飲食店や百貨店などに時短や営業停止を求めています(緊急事態宣言など)。たとえば、都民の外出抑制を提案する都知事が高齢者のシルバーフリーパスを止めないというのはブラックユーモアそのもの。これでは高齢者の感染死亡は止まらないでしょう。

京都の鴨川べり 写真はねとらぼから

高齢者の行動規制を採用できないのは、おそらく政治的理由でしょう。選挙を控えた政治家は高齢者の票田を最優先し、選挙になかなか行かない若者の生活は二の次・三の次。高齢者への忖度がこの国の経済を壊滅的にするとしたら、やりきれません。

若者はそんな胡散臭さに気づきはじめています。京都の鴨川畔の25日20時過ぎの写真がネットで流れていました。
京都は緊急事態宣言の発令で飲食店は20時までの時短営業ですから、あぶれた人たちが川縁りに集まって会話を楽しんでいたみたい。ただ、いつもより密な座り方のような気がするのは私だけでしょうか。

先にも示したように、若年層は感染しても重症化しにくく死亡も少ないので、(明確に認識しているかどうかは別として)若い人はそれほど気にしていない。この川縁りの景色などは行政機関の意味不明かつ愚かな政策に対する反発の意思表示でしょうか。だとしたら、何かしらアナーキーで微笑ましい。

しかし、若者もタカをくくっていてはいけません。感染ウイルスは市中にウヨウヨ、警戒心を解いてしまうと感染から免れることはできませんし、大事な家族に感染させてしまうかもしれません。飲食店や公共交通内で大声で至近距離で会話する若い人を見ると、ついつい心配になってしまいます(年寄りのお節介か)。

「変異ウイルスの祭典」と化しそうなオリンピック開催を目論む行政機関に呆れてしまう今日この頃。そんな愚策に拘泥することなく、三密・集近閉をできるだけ避けていきたいものです。