予防原則とは

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有吉佐和子「複合汚染」を読み返して改めて感じたことは、予防原則の重要性でした。「沈黙の春」や「複合汚染」から30年以上経った今、有害物質に対する知見はどれくらい進んだのでしょうか。たしかにいろいろな物質の有害性が明らかにされ、関連情報は昔とは桁違いに入手できるようになりました。また、リスク評価という言葉も一般化してきました。でも、それらが庶民一人一人の生活を守るのに有用なのかどうか。私はもっと簡便に判断できる論理や仕組みが必要だと考えます。そこで登場するのが予防原則です。…


予防原則 the precautionary principale とは、一言でいえば、人間の健康や環境に被害を及ぼすおそれのある行為について「因果関係が科学的に完全に立証されていなくても予防措置を講じるべきである」という原則のことです。

Sehn(Science and Environmental health Network)によると、予防原則はその起源を1970年代初期に制定されたドイツの環境法に見つけることができ、酸性雨や地球温暖化などに対する対策の実施の拠り所となってきたとのこと。しかし、この言葉が大きな脚光を浴びたのは、1998年のウィングスプレッド宣言でした。

1998年1月 米国ウィスコンシン州ラシーンという町に科学者や法律家、住民運動の活動家たちが集まって、予防原則に関する重要な表明を発表しました。これがウィングスプレッド宣言と呼ばれるもので、短いながら、予防原則の必要性とその実施を求めたものとなっています。

内容はまず、毒物の排出や仕様、資源の開発、環境の物理的変化の影響によって人間の環境や自然への影響が多大になったきたことを指摘し、それが喘息やがんなどの疾病だけでなく地球環境規模の汚染にまで広がってきたことに触れています。その解決方法は既存の規制やリスク評価にもとづくような決定では得られないとし、予防原則の実施が必要であると主張しています。宣言だけでは基本的な認識や疑義があることを考慮したのか、この宣言に対するQ&Aも併せて発表されています。

なぜ、予防原則なのか。
ある物質の生産や使用にあたり、はたして人間や自然環境にどういう影響があるのか。科学者はいろいろな研究を行い、リスク評価等を行い、私たちにその解を示そうとします。でも、その物質に関する情報が欠けていたらどうなるでしょうか。その評価は危ういものになり、結局、物事の成否は「政治」で決まってしまいます。ところが、科学者は自らの判断を正当化するため、その欠陥についてなかなか言及したがりません。これでは、庶民は救われません。

とくに化学物質については単独の有害性だけではなく、他の物質との相加相乗効果が問題になることもあります。そういったいわゆる複合汚染については、まだまだ知見が足りません。また、研究は未だだけども、類似物質からの類推で有害性や環境影響が疑われる場合もあります。そういった不明瞭未解明の点が多い現状において、予防原則は私たちの意思決定の考え方を提示しているのです。

私自身、この予防原則は実にしっくりくるものでした。ちょうどこの宣言が公表された1998年から1999年当時、自宅作りに集中してましたが、その時に材料となる建材や資材の選択について、いくつかの原則を設けて対処していました。
有害物質関連でいくと、住居内の汚染原因になるものは使わない(ホルムアルデヒドを含む合板や接着剤など)、生産や廃棄の時に環境を汚染するようなものは使わない(アスベスト入り建材や塩ビ製品)、含有物質に関する情報公開のない資材は使わない、そういうメーカー製品は排除する(多々)…がそれでした。もし、当時ウィングスプレッド宣言とか予防原則を知っていたら、もう少しスマートに議論できたのではないかと少し悔やまれます。


(関連情報)
「市民のための予防原則」(Sehn編著)の日本語訳が渡部和男氏(浜松医科大)によってなされ、反農薬東京グループから冊子として発行されています。日本語で読みたいという方は、反農薬グループから冊子を手に入れて下さい