衣食足りて、住にかまける

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島田雅彦  光文社  2004年11月25日

家のカタチは人それぞれ。でも、家の中で緊張感を保たないと住めない家というのはびっくりしました。著者の好みに同調するかどうかは別として、この本で展開される議論は面白く、家づくりは住み手の持論の実現であるということも再認識させてくれます。…


著者は自宅を「緊張感のある家」だと説明し、住みたかったのは、「今後何が起きるのか予測できない家」であるとしています。その持論を展開するためなのか、アンチ・バリアフリーを追及した「必要以上に段差が多」く、階段に手摺りはなく、2Fの部屋を繋いでいるのは金属格子のある橋のようなものがあり、極めつきは、消防署にあるような手摺バー式の降下装置!。家中に障害物と落とし穴があるような状態の家となっています。気を緩めると大けがをしそうです。著者は客人にも緊張感を楽しんでもらうと云うのですが、私は機会があっても遠慮したいものです。また、著者のいう「南向き信仰」批判にも私は与しません。

さて、そんな住みたくもない家を書いた本をなぜ紹介するのかと訝しがる人もいるかもしれませんが、この本の魅力は別のところにあります。著者の好みを受けれるかどうかではなく、他人のお仕着せではない家を自らめざした記録として読む価値が大いにある、ということなのです。

家づくりとは煎じ詰めていえば、住み手の希望やイメージをどう組み立てて実現していく作業が基本になります。残念ながら、世の中にはできあい仕様やお仕着せ仕様の家があまりにも闊歩して、住み手の方も、まるで車を買うような感覚で家を建てる人が多いのが実情ではないでしょうか。家づくりのイメージがないせいなのか、それとも家づくりという行為の本質を喪失させているせいなのか。それでは家づくりの面白みも少なくなるし、一生の事業という割には寂しいものです。自ら納得できる家を実現するためにも、家づくりとは住み手のイメージの実現であることを明快に示す本書は貴重です。

本の中に登場する建築家の隈研吾氏等との対話も面白い。隈氏は、コルビュジェの「革命か建築か」という言葉を、建築で弱者は革命を起こさずおとなくしているという意味だと説明し、「20世紀の初頭に住宅ローンみたいなものを制度化することによって貧乏人も家という建築を持てるようになった」としています。お金のない人は家を建てるなという意味ではありません。日本の場合なら、持ち家政策の浸透と中流意識の拡大で今の従順さが作られたというべきところでしょうか。

繰り返しますが、家に対するイメージがあまりにも違いすぎますので私は島田邸には住みたいとは思いません。でも、家というものを自分に引き寄せて考える時に、著者の方法論は貴重なヒントを与えてくれるでしょう。