殿様

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kaijima1小学校の頃セミ採りに行っていた場所は、通称「カイジマのトノサマ」と呼ばれる人物の、大きな大きな邸宅の前庭でした。先月ヤボ用で博多に戻った折、その前を通りかかると柵で閉鎖されていて昔の面影は全くなし。今は昔・・・、もの哀し。

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西鉄高宮駅から少し南西方面に木々に囲まれた小高い丘というか、小さな森のような場所があります。グーグルの地図で、高宮南緑地の中に「貝島別荘」と表示されている所です。当時、近所の人は「カイジマのトノサマ」の家と呼んでいました。

道路から山門まで約百メートル、邸宅入り口の門までさらに数十メートルという広大さだったので、山門辺りまでは近所のこどもらの格好の遊び場所。私なんかも蝉採りといえば「カイジマさんとこ」って出かけていたくらいです。

カイジマさんというのは炭鉱王貝島太助の子、貝島健次のこと。その彼の別荘がここでした。ちなみに、日本の炭鉱御三家というのは、安川、麻生、貝島の3家。生き残っているのは麻生家だけというのは栄枯盛衰を感じさせます。

私が当時感じたのは、世の中にはとんでもない金持ちがいるんだなぁ、別荘って云うけど本宅はいったいどんなんだろう、おそらく財産規模も桁外れなんだろうな等々。こども心に階級差とか格差とか、そんなものをいやおうなしに感じさせるには十分なデッカさでした。どうやったらそんな金持ちになれるんだろうかなんて考えもしなかったのは、当時まだ隷属教育の真っ只中にいたせいでしょうか(苦笑)。

kaijima2私が遊んでいたのは昭和30年代から40年代にかけての頃。エネルギー源や化学工業原料が石炭から石油へ移行し始めたことで、隆盛を誇った石炭産業が衰退していく時代です。調べてみると、1976年に貝島炭坑は清算されています。この家系では髭剃り用品などで有名な貝島化学が残っているだけで、麻生家がまだ健在なのと比べると差は歴然。

方丈記の冒頭みたいなものなのか、それとも平家物語の冒頭文句の再現なのか、権力者の没落はおそらく現代でも同じ。「カイジマのトノサマ」の没落には何の感慨もありませんが、こどもの頃の遊び場が閉鎖されていたのは、見てはならないものを見てしまったような、変な寂寥感が残りました。