草の根の軍国主義

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草の根の軍国主義草の根の軍国主義(佐藤忠男著、平凡社)

以下は連れ合いによる書評です。

先の戦争について軍部や天皇の責任を云々することは簡単です。でも、戦争はいやだと思いつつ毅然と反対もせず、いつのまにか追随していった大衆には何の責任もなかったのか。あるいは、次の戦争がやってきた時、私たち1人1人は反対の立場をとることができるのか。自分自身果たして暴力的な戦争推進勢力と対峙できるのかどうか。不安は尽きません。

現在の日本にキナ臭いものを感じる折、この本を背筋が寒くなる思いをしながら読みました。「気分が戦争に突っ走るとき」「昭和史の本当に恐ろしい問題」という副題のついた本書は、今こそ読まれるべき本だと思います。

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昭和の大戦争については、原爆を落とされた被爆国日本という被害者意識で語られることが現在の日本では多いように思います。原爆に至るまでに、日本が中国をはじめとする東南アジアの国々を侵略して人々を苦しめ殺していた国だったということは、多くの日本人が知らなかったり忘れたふりをしている状況にあるようです。

私自身を振り返っても、中学校の修学旅行の事前学習で原爆のことは積極的に教えられましたが、日本の侵略について具体的に教えられた記憶はありません。社会科の授業でも古代・中世・近世・明治維新から大正あたりまでに多くの時間を割き、戦前から戦後にかけては時間切れで殆どやらない、というパターンだったように思います。そんな私でも、侵略国日本の元凶は軍部を中心とした軍国主義だったという程度の認識は持っていました。

でもこの本では、軍国主義というのは軍人だけの話ではなく、多くの一般民衆 がマスメディアや教育者や軍人に巻き込まれ巻き込みながら作り上げるものなのだ、と当時14才の少年の目で明らかにされています。そして、私が恐ろしいと思うのは、当時の状況が現在の日本と似通う部分がかなりあることです。

たとえば、8月のお決まりのマスメディア特集。テレビ・新聞などは、8月になると必ず広島・長崎・「終戦の日」にニュースを流します。しかし、それまでに延々と行っていた侵略戦争のことは殆ど話題にしません。でも、毎年毎年これを繰り返すことで、なんだか日本は戦争の被害者のような潜在意識を持つ人が多くなっていると思われます。

あるいは、靖国神社参拝問題。A級戦犯を合祀する靖国神社に総理大臣や閣僚や国会議員たちがお参りするのは、ヨーロッパでいえば、ヒットラーのお墓参りをドイツ首相や閣僚がするのと同じ意味を持ちます。そんな日本に対して、中国や韓国首脳がクレームを出すと、内政干渉だと言わんばかりに報道するマスメディアが多いのが現状です。でもそんな報道を歓迎する人々が多いことがそもそもの問題でしょう。

あるいは、日本人拉致被害者問題での北朝鮮バッシング。日本人は六十数年前に数万人以上の規模で朝鮮の人々を強制連行したり強制労働させ、多くの朝鮮人女性を強姦したり売春させたり殺したりしました。本来ならその自覚の上にたって交渉すべき拉致問題なのに、昔の加害には知らんぷりして被害だけ強調して大衆を煽っているのがマスメディア。でも、「よくぞ代弁してくれた」と思っている人々が多いのが恐ろしい点です。

あるいは、日の丸の小旗と「バンザイ」で見送られる出征兵士の映像。千人針を縫い、旗を振り、「生きて虜囚の辱めを受けず」のプレッシャーを兵士にかけた一般の人々には、軍国主義の片棒を担いでいたという自覚はあるのでしょうか。戦争で苦しい生活を強いられた被害者という面だけが繰り返し報道され、兵士たちを各地に送り込んで現地の人々を殺していた事実には目を背けているのではないでしょうか。米軍のイラク侵略後の治安維持のため派遣された「自衛隊」という名の軍隊に、日の丸の旗を振る人々は、侵略の片棒担ぎの後押しをしている自覚はあるのでしょうか。

あるいは、従軍「慰安婦」問題で謝罪と補償を日本政府に求めた米連邦議会下院決議への対応。「慰安婦について指示した文書が残っていないから、日本政府に責任はない」という対応を平気でした安倍晋三首相。敗戦時、日本軍や日本政府は都合の悪い書類をすべて焼却・廃棄するように指示を出したくせに、「書類がないから、そのような事実もなかった」とはあきれてしまいます。そこを突かないマスメディアもひどいですが、都合の悪いことには目をつぶる私たちの側にも責任はないのでしょうか。

そして、沖縄戦での住民の集団自決をめぐる教科書問題。これも「軍が集団自決を指示した証拠が残ってないから、検定して削除する」という強硬派の論理がおかしいのは自明です。集団自決の状況で、公式文書で指示を出して焼却せずに残している、と考えること自体に無理があります。さすがにこれは、沖縄で当時の状況を体験した人々の怒りを買っており、押し戻されつつあります。しかし今後、当時の状況を知る人々がどんどん少なくなれば、また削除方向へ向かう可能性もあり、油断はなりません。

このような日本の状況に重ね合わせて読むことで、本書は重みと深みを増すはず。戦争にノーというために私たちが日々心に留めておくこと、覚悟しておくこと、そういったことを考えるための材料して、広く読まれることを願わずにはおれません。