公の放送がとどまれと言ったら逃げる…五木寛之さんの意見
2011/08/15
先に紹介した日経新聞よりも、ずっと生々しい五木寛之さんの意見を発見。タイトルは、梯久美子さんが書いた『昭和二十年夏、子供たちが見た日本』の一節です。
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梯さんの本には、昭和20年当時の話について当時こどもだった五木さんだけでなく、児玉清さん、館野泉さん、辻村寿三郎さん、梁石日さん、角野栄子さん、山田洋二さん、倉本聰さん、中村メイコさん、福原義春さんらの話を聞き取っています。五木さん以外の人のも面白いのですが、今回は五木さんの思い出について触れてみましょう。
先日紹介した五木さんの言い分は、『山河破れて国あり』。そして、「国が公にする情報は、一般人がパニックになることを恐れたうえでの、一つの政策」、「だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない」ということでした。
これで話はすっきりしているはずですが、そうではありませんでした。
梯さんの本には当時の五木少年が見た敗戦直後の話が載っており、ソ連軍侵攻の生々しい実態、引き揚げ時の驚くような話が述べられています。とくに、お母さんが襲われ、その後死に至った経緯を戦後57年を経て始めて書き記したことや、「民衆の戦争は、終戦の日から始まる」という思いを述べる下りは、いったん本を閉じて考えさせられました。
五木氏はこうも云います。当時ラジオが『治安は維持される。市民は軽挙妄動をつつしみ、現地にとどまれ』』と繰り返し放送していた、その件について、
それ以来僕は、公の放送がとどまれと言ったら逃げる、逃げろといったらとどまるというのを指針としてきました(笑)。
家族の命で学び取った最後の(笑)が重い。
思えば高校生くらいから五木寛之さんの小説を読んできました。氏の小説の中にある得体の知れない不条理感というのが、著者自身の実体験に基づいたものであったことを知り、腑に落ちる次第です。
実はこの本を読もうと思ったのも著者の梯さんがラジオで、今と敗戦当時に共通点があるのではないか、こどもの目を通してみる大切さを知ってほしいと語っていたからです(概意)。
今フクシマで起きていることは敗戦時の満州と同じではないでしょうか。平和を装う国やメディアに当時の引き写しを感じるのは私だけではないはずです。
福島で退避避難に二の足を踏んでいるご家族へ。退避するのもしないのも「選択の自由」ですが、もし五木寛之ファンなら是非この梯さんの本を家族で読んでみて下さい。連れ合いが退避にもう一つでも、五木ファンなら考えを変えるかもしれません。それくらいインパクトあり、ですよ。
(最初稿にミス。山河破れて国あり を逆に書いていました。ご指摘下さった方に感謝。でも、杜甫の漢詩への記憶が混乱しそうですね)