唖然呆然の原子力安全委員会

.opinion 3.11

原子力安全委員会は内閣府の審議会で行政機関の1つ。今回の原発事故でいったい何をしているのかと思っていたら、その議事録を見て呆れてしまいました。地震発生当日夕方の会議は5分。3日後の会議も5分。6日後も5分。14日目にやっと26分。まともに機能していないのが一目瞭然です。

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原子力安全委員会の委員長は、元東大教授の斑目春樹氏。斑目委員長は、水素爆発はしないとか、海の放射能汚染も問題なしのような発言をしていたので、的外れで役立たずではないかと世間で批判されているのはご存じの通り。

彼が委員長を努める原子力安全委員会ですが、震災後いったい何をしてきたのだろうかと会議議事録をみてみると、これが唖然呆然の議事録。誰が出席したのか、どんな討議内容か、それすらわからない上に、たった5分間で閉会。大震災後3回つづけてそんな議事録。本当は会合そのものをやっていないのでは? そんなんで国に助言なんてできるはずもなし。これが実態なのだとしたら、私たちはとんでもなく無責任な人たちに国の命運を任せてしまっています。唖然です。

ホンマかと疑う人は是非公表されている議事録を覗いてみて下さい。

まず、東日本大震災が起きた当日の3月11日。原子力安全委員会は午後4:00開会、午後4:05閉会。わずか5分のみ。出席者名も議事速記録もなし。何をしたんでしょうか? 委員はちゃんと集まって地震や津波の影響について議論をしたのでしょうか?

次は大震災3日後の3月14日の議事録。12日に水素爆発が起き、原子炉が危機的状況に陥っていました。そして周辺地域に放射能が飛散してしまい、高濃度の被曝実態が既に明らかになっていました。でも、午後3:30開会、午後3:35閉会で、わずか5分のみ。またもや出席者名も議事速記録もない。委員は何をしていたのでしょうか?

そして大震災6日後の3月17日。午後6:30開会、午後6:35閉会で、この日もわずか5分のみ。これまた出席者名も議事速記録もない。何か変だなぁ。実質的な会議はまだ開かれていないようです。

大震災14日目の3月25日。この時はさすがに委員長・委員長代理・委員2名の計4名が集まって会議をしたらしく、議事速記録が残されています。とすると、過去3回の議事速記録がないのは忙しかったせいではなく、会議そのものがなかったのではないかと推察できます。まぁそれはそれとしましょう。

大震災14日目にして初めて原子力安全委員会は会合らしい会合を開催。ところが、問題山積で大討論になるはずなのに、午前11:46開会、午後0:12閉会。わずか26分間でオシマイ。議事速記録によると、発言内容は殆ど事務局が用意した資料の説明か誤字の指摘のみ。その内容もモニタリングがどうのこうので、問題になっていた燃料棒冷却の話は出てこない。なんだ、これは! 委員には危機感もないし、早急に手を打たないと大変なことになるという緊張感もなし。だらだら長く会議するのが良いとは言わないけれど、討議内容の質量ともに失格です。

以上のように、原子力安全委員会は全く機能していません。その委員会の元メンバーがTVや新聞で「大丈夫です」とか「ただちに危険ではない」と言い続けているのを見ると、斉藤和義さんの唄うように(原子力委員会って)みんなクソだったんだぜ、ですな。こんな委員会は要りません。

ちなみに、5人いる委員(常勤)の給料は約1650万円(月給93万6000円とボーナス)。斑目委員長は、委員は他の仕事を持っているから忙しいからと国会で抗弁していましたが(2011/04/07 衆議院災害対策特別委員会)、何に忙しかったのでしょうか。この国の生き死にが係っているこの時にアドバイスをするはずの人たちに、それ以上の用事があるというのなら教えてほしい。レベル7の原発事故が起こったのに、事故後2週間で実質的な会議は1回だけ、それも26分間。あまりにもおかしい。

ついでいえば、1年前の斑目委員長就任の人事案に対し、社民党の福島瑞穂さん(当時は閣僚)が脱原発の立場から反対しました。でも民主党はこの斑目人事を取り下げませんでした。社民党を褒めるわけではありませんが(社民党の地方組織は原発のゲの字も云わない不甲斐なさ!ですしね)、この経緯を考えると民主党の原発推進姿勢が今回の原発被害を大きくしたといってもよいでしょう。

なお、原子力安全委員会については、木村盛世さん(厚労省医系技官)が貴重な意見を発表しています。「原子力安全委員会の存在意義はどこに?ー御用学者は必要ないー」がそれ。是非ご一読下さい。