此処より下に家を建てるな

.opinion 3.11

1986年の明治三陸沖地震と1933年の昭和三陸沖地震による津波で壊滅的被害を受けた後、宮古市姉吉に作られた石碑の教えにそう書かれています。今回これを守った集落では津波の被害家屋はなかったとのこと。先人の教えとはかくも重きものだったということでしょう。

なお、出典の元記事は読売新聞3/30河北新報 4月10日です。

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紹介した新聞記事によると、姉吉地区に立つ「大津浪記念碑」の全文は次の通り。

 高き住居は児孫の和楽/想(おも)へ惨禍の大津浪/此処(ここ)より下に家を建てるな/明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て/部落は全滅し、生存者僅(わず)かに前に二人後に四人のみ/幾歳(いくとし)経るとも要心あれ

過去2回の壊滅的被害の状況を伝え、津波から子々孫々を守ろうとするなら、石碑より下に家を建てるなと諭しています。人智を超えた天災に対処するためにはどうしたらよいのか。高床の家を建てろとか、強固な家を建てろとか、有効な逃げ道を作れとか、そういうことではありません。「此処より下に家を建てるな」という教えは、自然の猛威を受け流すための知恵とはかくあるべしというものでしょう。

実はこんな話は姉吉地区だけかと思っていたら、今日の河北新報には大船渡市の吉浜湾地域にも同様の言い伝えがあることを紹介していました。

そこでも明治の津波で壊滅的な状況に陥り、これではまた同じことが起きると考えた当時の町長が、銀行からの借金だけでなく私財をも投じ、村全体を高台に移住させたとのこと。偉い人がいたんですね〜。

また人々が忘却の彼方に置き忘れないように、津波がきた境界よりも下を「下通り」という名前の道にし、ここにも巨大な石碑が建てられています。その結果、今回の津波では戦後低地に建った民宿2軒が流されはしたものの、集落には津波は届かなかったとのこと。ここにも先人の教え、それも私財を投じた全身全霊の思いが有効に活かされた経緯が見て取れます。

宮城、岩手の三陸海岸では1896年と1933年の2度に渡って、どこも同じ津波を受けて壊滅的になっています。でも、その辛い悲惨な経験が活かされた場所とそうでない場所があるのはなぜか。過去の経験を未来にきちんと繋げたかどうか、その差ではなかったのか。まさしく、幾歳(いくとし)経るとも要心あれ です。

今回の復興がどう進むのか私にはわかりませんが、自然の猛威を受け流すためには、今回の津波が上がってきたよりも海側に家を作ることだけは止めた方がいい。難しい問題はたくさんあるでしょう。そんな簡単にできるかという批判もあることでしょう。でも、過去にそれを行った先人はいたのです。今の人にできない道理はありません。私たちが制御できない自然とつきあう方法はそれに対抗するのではなく受け流すしか方法はありません。是非とも、過去の経験を活かす方向にお金を投じてほしいものです。