串本の虎

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今月初め、虎を見に串本へ。虎といっても「虎図」という名前の襖絵です。
それにしても、滋賀から和歌山県最南端の串本までは遠かった。でも、その距離感を払拭するような襖絵に感激しました。

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数年前から若冲が話題になり、今年は年初から奇想の画家を取り上げる書籍が続々。話題をいろいろ変えながら庶民の気を引こうというのが消費社会の習いとはいえ、知らない話を知ることは面白い。私が串本の虎を知ったのは、ブルータス誌2019年 2/15号の「死ぬまでにこの目で見たい日本の絵 100」の表紙でした。

ある日突然、連れ合いがこの襖絵を観に行こうと言い出しました。何処にあるの?と尋ねると、串本って本に書いてあるとのこと。連れ合いの認識では串本は和歌山市のちょっと南。そら違う、あそこは遠いゾ。

自宅から和歌山市へ行くのと和歌山市から串本へ行くのとでは、後者の方が時間がかかります。数字でいえば、自宅から串本までJRで行くと約5時間、朝6時に自宅を出ても串本着はお昼前。新幹線を使ったら熊本以南にも行ける時間です。それでも見たいというので、本州最南端の潮岬がある串本へ。

問題の絵は串本の無量寺にあり。襖絵は3つ、1つはホンモノ、残り2つは複製モノ。応挙芦雪館と本堂は複製モノです。

たとえば、ブルータスの表紙は本堂での写真ですが、そこにあるのはデジタル複製画で、ホンモノは収蔵庫の中。私がみた限り、暗めの本堂ではデジタル複製画でもそれなりに見れますが、ホンモノには到底及ばない。ホンモノはホントに素晴らしい出来で感動しました。でも、収蔵庫の中のホンモノは雨の日は見せてもらえない。そのあたりの事情がブルータスでは分かりにくいのが難です。

この虎を描いたのは長沢芦雪。応挙の実質的な一番弟子。1786年作とされる、その「虎図」が、私にはどう見てもネコで、虎には見えません。

展示館の映像紹介では、「虎は日本にはいなかった。だから、描いた蘆雪も当時虎を見たことはなかった。彼は他の絵や伝聞を元に虎はこういう姿なのだろうと考え、もっともらしく描いた」(概意)のような説明が流れていたので、さもありなん。

虎はネコ科なのでネコに似ていると誰かに聞いたのでしょう。でも、知らない動物を描いたことの後ろめたさなのか、芦雪は襖の裏側に魚を狙うネコを描いています。魚の目から猫を見たら「虎」になるとの解説もあり、芦雪の正直さというか種明かしなのかもしれません。

私思うに、そういう正直さ生真面目さが絵に出てくるのが芦雪の絵の特長。虎や龍という仮想の生き物より童の絵にこそ彼の達筆が遺憾なく発揮されています。彼の絵を奇想奇想と一纏めにするより、画風の柔らかさ・暖かさこそ取り上げるべきではないでしょうか。ちなみに、虎図を見に行くと言い出した連れ合いの一番のお気に入りは、虎ではなく童の絵、「唐子遊図」でした。

もう1つ。この襖絵は来る南海地震ではどうなるのか、等という余計な心配が頭に浮かびました。というのも、和歌山県南部には高波避難用に高台型タワーが続々と設置されているのを目の当たりにしたからです。

前回の南海地震は1946年。この時は串本で1m未満の浸水でしたが、さらに前の1854年の安政地震では同じく串本で最大波高11mになったらしい。その時、無量寺は大丈夫だったのでしょうか。


・・・そんなことを考えていると、無量寺の中でも小高い場所にある収蔵庫でさえ、来る南海地震の津波や高波から「虎図」「龍図」「唐子遊図」などを守れるのか、心配になりました。

書籍案内 honto:長沢芦雪 かわいいこわいおもしろい