2017年のお正月

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西洋歴のお正月も過ぎ去りました。休日はゆっくりできましたか。こちら、美味しいお節とお酒に舌鼓みを打ち、3日は連れ合いの付き合いで京都に初売り見物へ。2日じゃなかったせいか、何かしら買い物客が少ないように感じたのは気のせいでしょうか。
さて、私個人は年賀状をやめて早15年。賀状が挨拶の交換だと考える人にとっては不遜なんでしょうが、儀礼的な葉書交換だけなら労力とコストがもったいない・・・、そう私は考えていました。でも、今年は少し考えるところあり。

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RF1のお節「美味15楽膳」 値段の割に満足感高し。

15年前に年賀状を止めた理由はいろいろ。まず何より、こちらがめでたいという気持ちにならない・なれないのに、なにゆえ「おめでとう」と書くのか、それがイヤになったこと。また、儀礼的な葉書交換なのに年末の忙しい時に手間暇かけるのは面倒。そんな言い訳は勝手な理由といえば、その通り。

挨拶もしないのはやはり変だと考え、自然歴の1月1日前後、つまり2月中旬頃に近況報告をした年もありましたが、年賀を出さないといっておきながら、おまえもやっぱり出しているじゃないかと揶揄されたことがあり、それも止めてしまいました。

こちらの消息は本サイトでわかります。ネットに繋がない・繋げない人でも親しい人なら電話や手紙のお付き合いがあるのであまり問題になりません。賀状を出さないというのは、サラリーマンの柵みもなければ、ビジネス上のおあいそをする必要もないという立場ゆえ・・・ともいえるでしょう。

毎年お願いしている京都仁和寺佐近のお節。食べ散らしの途中で申し訳ありません。京都の実家で堪能しました。

ところがところが今年の元旦、何かしら「めでたい」と思う気持ちがフツフツと湧いてきました。1年間大事故にも遭わず、そして大きな病気もせずになんとか乗り切れた、(文字通り)なんて有り難いことなんだろうか。そして年が明け、今年もそうであってほしいと心から思った、というわけです。元旦にこんな気持ちになったのは初めて。自分でもびっくり。

11年前に心臓の血管が詰まかけて危うく死にかかり健康の大切さを実感。5年前には食後血糖値のスパイクに気付き糖質制限を開始。そんな健康問題を抱え、今の自分があるのは連れ合いや家族、回りの人たち、広くいえば世間のおかげだと思う気持ちが強くなったせいなのか。また、還暦を過ぎて人生の大団円に迫ってきた故なのかもしれません。

とにもかくにも、今年は元旦を1つの区切りとして実感。あぁ、これが多くの人たちが正月をめでたいと云っていることなのかと理解できたような気がしてきました。全くもって「遅れてきた青年」ならぬ「遅れてきた老年」です。最近年賀状を出す人がめっきり減ってきたようですが、やっと正月をめでたいと思う気持ちが湧いてきた自分としては新たに年賀状を復活させようかどうか、思案しているところです。ということで、