リリーフピッチャーの勘違い

.opinion 3.11

窮地に陥ったチームがマウンドに送り込んだリリーフピッチャー。打たれて失点すれば勝負は負け。ピッチャーは黙って潔くベンチに下がるのが筋です。でも、悪いのは自分をマウンドに送った監督だと開き直ったら観客は興醒め。嘉田さんはまさにそれですな。

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先日の衆議院選挙の直前、未来の党なる政党が登場しました。突然の出現にびっくりという人も多かったのではないでしょうか。

実は嘉田さんが滋賀県知事に立候補した時も同じでした。それまで反対運動に一切関わっていなかった彼女が、選挙の争点として新幹線駅の建設反対を打ち出せば勝てると踏んだのか、突然計画の凍結を訴えて当選(注1)。嘉田陣営の賭けが効を奏した格好でしたが、知事就任後に計画をストップさせたから、これはこれでマル(注2)。今回の未来の党の党首としての登場も前と同じような流れを感じさせました。

彼女の唱える卒原発はいったい何を目論んでいるのか、脱原発とは違うよ、ということを鮮明にしたいだけなのか。実際のところ、大飯原発再稼働の後では原発再稼働はやむなし的な発言をしていましたから、卒原発とは原発そのものに反対ということではなさそうです。その嘉田さんが選挙になると脱原発候補して祭り上げられるわけですから、メディアとは勝手なもので、政治というのは如何にマヤカシなことであることか。

今回の選挙では自民党から共産党に至るまでほとんどの政党が、表向きは原子力発電の安全性を求めたり、原子力依存からの脱却等を打ち出しました。国民の半数以上が脱原発を望んでいるのですから、選挙に勝ちたい政党がそれに乗じたというわけでしょう。原発推進側からたっぷりお金をもらっている大メディアの巧妙な広報戦略もあり、どの党が反原発・脱原発なのかよくわからなくなってしまったというのが今回の選挙でした。

結果は未来の党の惨敗。嘉田さんは選挙で勝てなかったのは自分の問題ではなく、時間が足りなかったとか小沢問題があったから等だと言い訳していましたが、それはオカド違い。嘉田さんの云う卒原発は自民党の「脱却」や民主党の「脱依存」とどこが違うのか、違いがはっきりしない、そのことが国民の過半数の票を引き受けられなかった本当の理由なのではないでしょうか。

だいいち本当の党首なら良しも悪しもすべて飲み込む器量がいるはずなのに、他者を悪し様に云うのは自らが傀儡であることを暴露しているようなもの。結局昨日時点で分裂分党してしまいましたが、負けは負けだと認識できない人物では次の勝ちもないでしょう。

一方の小沢一派はこの間何を考えたのでしょうか。数年来検察には苛められ、メディアにあることないこと書き立てられ、「生活が第一」が選挙に勝つためにはソフトな別の顔に表に立ってもらおう、そんな政治的思惑で嘉田某に接近したのでしょう。小沢一派にしてみれば、いわば嘉田さんは選挙対策のリリーフピッチャーみたいな位置づけですから、投手ならぬリリーフ党首。でも選挙に負けてしまったらお役ご免。少なくとも小沢一派からすれば、もう用なしです。ましてや、監督の采配に負け投手(党首)が口を挟さむなといったところでしょう。

でも、1つだけ云っておきたい。

脱原発や自然エネルギーを政治ネタにするのは大歓迎ですが、するならするで根性入れて取り組んでいただきたい。そうでないと、ネタにした者たちの無責任さや非道さが脱原発という理念やライフスタイルの欠陥のように吹聴されかねません。嘉田さんにも小沢さんにも、そしてその周囲にもその認識が欠けているのではないか。脱原発を願って票を投じた民の思いをだいなしにしないためには、何が問題だったのか、本当に脱原発をめざすのかを真摯に省みて、それぞれの責任を明快にし、引くなら引くで引き際は潔くして欲しいと切に願う次第です。

(注1)もともと嘉田さんは滋賀県の総合開発行政に積極的に加担してきた経歴あり。琵琶湖総合開発計画事業では推進側の1人。数年前エコ派で登場した時には、差し止め環境裁判を担ってきた者の1人である私には冗談かと思ったくらいです。
(注2)嘉田知事は今年リニア新幹線の駅を滋賀県内に作りたいと表明。変質なのか、それとも当選時の新幹線駅反対は単に選挙用だったのか。このことは議会だけでなく県内で顰蹙を買っていました。でも、選挙の時は触れられず仕舞いだったので全国の人は知らない人が多かったのでは?