下山の思想

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下山の思想 (幻冬舎新書)今年も暮れかかっていますが、大変な年でした。311は権力が偽装隠蔽してきた原発の危険性を顕わにし、世界を大きく変えてしまいました。本サイトでもあれこれ取り上げてきましたが、いまだにそのことがわからない人が多いのはなぜなのか。
さて、本サイトで今年トップ10のアクセスだったものの中に五木寛之さんの見解があります。その五木さんが12月になって出したが左の『下山の思想』です。

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山に登り、頂上に辿り着くと、次は下山するしかない。上る時よりも下る時の方が気を抜きやすいので危ない場合もあるだろう。気を引き締めていないと大変なことになってしまう。いつも上っていないと前向きではないとか成長していない等と考えるなら、それは大きな間違いだ。むしろ、今の日本は下り道を如何に上手く下っていくか、それが問われているのだ・・・というのが著者である五木さんの言い分。

今まで『下山』というイメージを特段意識してきたわけではありませんが、この言い分には納得しました。この国の成長と今後の展開を考える時、『下山』という発想がいかに大切なのか、著者は内容を変えながら繰り返します。

本文中でとくに面白かったのは、傷口の消毒、食事の摂り方、国債の行方等について全く反対の意見があるが、どちらも眉唾と喝破する箇所。曰く、巷の情報はあてにはならない、明日のことはわからないのに自信を持って予言するなど天も怖れぬ所業等というわけです。また、人間は「自分の欲する現実しか見ていない」「見たいものしか見ていない」という一節がありましたが、まさしくその通り。蛇足ながら、フクシマでもそれが証明されてしまいました。

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私が70年代の学生の頃学んだことの1つに、2000年を超えた辺りから日本の人口が減り始める、というのがありました。この「確度の高い予想」を前提にするのであれば、水需要も食糧需要も減っていくことを考えなければならないのですが、都市計画をはじめあらゆる将来計画というのは右肩上がりを前提にし、それを変えようとはしませんでした。つまり、人口は増え続け、産業出荷額も増加し、日本は青天井で発展するという社会観を前提にしていたというわけです。

そんなことあると思いますか?私はそうは思えませんでした。むしろ、このままではいずれ綻びが出るゾと考え、私自身は巨大ダム開発や電力開発に異議を唱え、裁判を起こしたり、いろいろな反対運動に参加していったのはその延長線上。ところが、80年代後半のバブル期にはイケイケドンドン極まれりで、これじゃ綻びどころか破綻が必然。そんな片棒担ぎはしたくなかったので大阪府を辞めたのが90年春のことでした。今から思えば、私なりに『下山の思想』を実践しようともがいていたようです。

今現在の有様を見ればわかるように、予想通り、人口は頭打ちになり減り始めました。その一方で、水を貯める必要のないダム、車の走らない橋や道路、見学者のいない施設等々が全国津々浦々に出来てしまいました。利便性は曖昧なのに建設コストや維持管理コストが私達の財布に重くのしかかってきます。この段に及んでもまだ無用な巨大ダム等を作りたい人たちはいったい何を求めているのか、自分の利権だけが問題なら亡国の民と云わざるを得ませんし、『下山の思想』の欠落なのでしょう。

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原発や放射性物質による被曝問題など厄介なことについて、いろんな情報を集めて判断したい、そんなことをしたり顔で云う人がいます。でも、モノゴトを判断する基礎・基本みたいなものがないと情報に振り回されるだけ。ポスト311で明らかになったように、国や役人はウソツキだらけで、専門家と称する連中は怪しくテレビや新聞は本当のことを伝えません。おまけにネットは真贋入り乱れ。どうやって必要な情報を手に入れることができるのでしょうか。そんなことを案ずるより、少ない情報足りない情報でも問題なく生きていける知恵を身につけることの方が肝心です。それもまた『下山の思想』です。

つまり、五木さんのいう『思想』とは小手先の知識の取得方法ではなく、これからの生き方の手ほどきみたいなもの。先に紹介したものにそうだそうだと思った人もそうでなかった人も是非ご一読下さい。そして、下山の途中で見える景色をいっしょに楽しみましょう。