牽牛さん安らかに

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年末になると「喪中につき云々」という葉書が届きます。ふだんは友人知人の親の話なんですが、ときどき御本人のがやってきます。昨日届いたのもその唖然とするやつで、亡くなったのは牽牛さん(ネットのハンドル名)。CGイラストレーターの牽牛を知らなくても、TVなどで使われていた彼の作品を見たことがある人は多いはずです。(左の恐竜は牽牛さんの作品の1つ)

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牽牛、本名 塚崎健吾。職業:イラストレータ−。
作品にはキリンビールのロゴを3次元化したものや、日産自動車のハリアーに出てくるライオンマンのオリジナルイラスト等があります。その他、氏のHPには過去の作品がいろいろ展示されていますので、ご興味のある方はどうぞご覧下さい。

20年ほど前、まだコンピューターグラフィックスCGが珍しがられていた頃、CGの表現力に関心を寄せ、そのCGをどうやって自分の作品に活かしたらいいのか、あれこれ考え悩み格闘する人たちが少なからずいました。80年代終わり頃に始まったニフティサーブがその議論の格好の舞台になり、絵風蔵とかFMACCGなんてフォーラムでは、そんな人たちが毎日のように活発な情報交換や侃々諤々な展開が進められていたんです。

「モノの見え方」に興味があった私が入り浸っていたのは後者のFMACCG。主催していたコーシングラフィックス社のマスコットソフトで盛り上がったり(コーシンはその後廃業)、国産メタボールソフトが出てきた時にはみんなで夜を徹しバグ出しやら作例交換をしたのは楽しい思い出です。その中で知り合った1人が牽牛さんでした。

彼のことで思い出すのはあるシーン。もう10年以上前のあるパーティの席上。

「エゴン・シーレって知ってる?」と彼。
「知ってるよ」
「ホンマ?」
「この前ウィーンで見たよ」(偶然ウィーンの美術史美術館に行ってきたばかりだった)
「じゃ、そのシーレを日本に紹介したのがボクだって知ってる?」
「えっ、ホンマなの?」
「シーレって云々かんぬん・・・」

お酒が入っていたのでどんな話になったのか、後半は全く記憶が消えています。ただわかったのは、塚崎さんにとってエゴン・シーレが特別な存在であり、日本への紹介に何らかのカタチで彼が関わっていたことが彼の自慢みたいなものだということ。調べてみると1979年に日本で最初の展覧会が開催されているので、その時に関わっていたのでしょうか。

それ以来、シーレの話が出る度に彼の顔を思い浮かべてしまいます。つい最近、これも昔のMacCG繋がりのご夫婦宅でのパーティで、参加者の一人がシーレの話を持ち出したので塚崎さんのことを思い出したばかり。なのにその数週間後に弔報とは…。

思い出といえば、これまたあるパーティで奥様といっしょに参加されているのにお会いして、雰囲気のいいカップルだなぁと思ったのもよく覚えています。

何かしらウマがあう人でした。改めて氏のHPを眺めてみるとリンクページに私のHPへのリンク。気にかけて下さっていたんですね。ありがとうございます。

やり残したことはありませんでしたか? あったとしても、それがまた人生というものでしょう。気にせず安らかにお眠り下さい。