裕次郎の斧 あるいは十兵衛の右目その2
2012/02/12
子どもの頃観た映画で今でも覚えているものの中に、石原裕次郎主演の「泣かせるぜ」(1965)というのがあります。ストーリーはほとんど記憶がないのに途中の1シーンが未だに忘れられません。なぜかというと、アナザー「十兵衛の右目」だったから。
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1960年代の中頃、私が子どもの頃、住んでいた家の近くに野間東映という映画館がありました。封切り映画だけでなく、名作物を3本立てに上映するような地元映画館という感じの処でした(現在はスーパーか何かになっているようです)。土曜日の晩8時過ぎになると100円なんて入場料になるので、それを狙った親に連れられ遅くまでよく映画を観ていたものです。
その中の1本が日活の「泣かせるぜ」。この稿を書くまでタイトルは別のものだと思っていたのですが、ネットで調べると観たのはどうも「泣かせるぜ」らしい。船を沈めて保険金を騙し取ろうという悪党と、それと闘う(石原裕次郎が演じる)船長他が出てくるという話でした。
まぁそれはそれとして、映画の中で船が何らかの事故で爆発火災を起こし、エンジンルームにいた船員の腕が重いエンジンの下敷きになってしまいました。このままでは浸水が進み船は沈みますから、船員の溺死は免れません。さぁ命を助けるにはどうしたらいいのか。
主人公の船長はおもむろに斧を持ち出し、船員の腕に太いロープを巻き付けると一気に腕を切り離し、船員の一命を救うのです。あまりにあっさりと事を運ぶ船長の決断と行動にびっくり。たしかに合理的だけど、自分が船長だったらそんなことができるだろうか。そんなことを考えざるを得ませんでした。映画の筋はすっかり忘れたのに、そのシーンだけは今でも目に浮かぶのはよっぽど印象が強烈だったんでしょう。
そうです。これもまた「十兵衛の右目」。生きるためには合理的に考えよ、捨てなければならないものがあっても躊躇するな、躊躇は死を招くかも・・・、そんなことを非情なまでに教えているというわけです。
できることならそんなクリティカルな場面には遭遇したくありません。私は元来気弱なせいか、できるだけ厄介事に遭わないように日頃から前もって考えておこうと思うタチです。それが、少なくとも私の中では『予防原則』の考え方の基本のところにあるんだと思っています。
でも、日常的には想定できないような出来事が起きてしまいます。それが偶然というもの。だからといって偶然を原発事故のような必然といっしょにして欲しくありません。また、一度起きると社会が破局に陥ってしまう原発事故のような出来事を、リスクなんて言い草で損益計算可能だとする考え方は、強者の(いや、権力層・支配者及びその腰巾着の)傲慢だと私は考えます。
ちなみに、実話を基にした映画で『127時間』というのがあり、今ちょうどレンタル屋さんに出回り始めています。本編は観ていませんが、アップルトレーラーで最初に予告編を見た時、あぁ、また「十兵衛の右目」や「裕次郎の斧」的なストーリーだなぁと思った次第です。