跳弾あるいは流れ弾 そしてJAL123便
2015/08/12
先月、滋賀県高島市今津の民家に機関銃の銃弾が飛んできたというニュースが流れていました。自衛隊訓練場から3.5キロも離れているのに何故そんなことになったのか。このニュースを聞いていて、私は30年前の今日墜落したJAL123便のことを思い出してしまいました。
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中日新聞によると、先月の事件は以下の通り。
16日午後6時5分ごろ、滋賀県高島市今津町保坂の男性会社員(47)方で、2階の寝室に銃弾が落ちているのを会社員の次男(27)が見つけ、県警高島署 に通報した。民家から南500メートルに陸上自衛隊饗庭野(あいばの)演習場の境界があり、同日は陸自大久保駐屯地(京都府宇治市)の部隊が機関銃の射撃 訓練をしていた。駐屯地は銃弾が誤って着弾したとみて調べている。
駐屯地や署によると、見つかった銃弾は直径12ミリ、長さ60ミリ。午前8時45分から午後3時10分まで、第102施設器材隊の12人が、演習場中央付近で機関銃を使っていた。訓練していたのは民家から南東に3・5キロほどの場所。・・・後略・・・(中日新聞 2015年7月17日)
見つかったのは12.5ミリ機関砲の銃弾。なぜそんなモノが民家の2階に降ってくるのか不思議に思っていると、中日新聞支局長さんがラジオで興味深い解説をしていました。曰く、
この機関砲は射程距離7キロメートル、殺傷可能距離2キロ、
銃弾は固いものに当たると跳弾することがあり、全く予想のつかない方向に飛ぶことがある、
というのです。水面すれすれに投げた石ころが水面を跳ねるのと同じ理屈らしい。訓練場所から3.5キロ離れていることから考えると、12.5ミリ弾ならそれくらいは飛び跳ねるということのようです。
一方、自衛隊は標的の設定ミスみたいなことを説明していますが、だとしたら流れ弾のようなものかもしれません。跳弾、流れ弾のいずれにしても思わぬ方向と予想しない場所に銃弾が飛んでいくことがあるというのは有りそうです。
さて、このニュースを聞いていて私は全く別の事件のことを思い出してしまいました。1985年8月、相模湾上空で機体後部の破壊が起こり、数十分迷走した後に御巣鷹山に墜落したJAL123便のことです。
この墜落事件にはいまだに謎が多く、機体後部の圧力隔壁が壊れた原因もはっきりしていません。公式には機体整備不良などいろいろなことが云われていますが、機体構造の専門家の弁では外部から力が加わらない限りああいう風な壊れ方はしないはず等と私は聞いていました。
あの事件、キーになる事実が公式報告書から排除されていると指摘しているのは元日航の青山透子さん。あの日JAL123便に緊急事態(後部破壊)が起きた後、自衛隊のファントム戦闘機2機が追尾していたというのです。自衛隊は早々とJAL機の異常を察知していたわけですが、いったい何故でしょうか。
この自衛隊機の追尾については当時東名高速インター付近で目撃した人、非番の自衛隊員、群馬県上野市の親子など目撃者がいます。でも、何故かこの話は公式報告書には出てきません。これまた、なぜでしょうか。取り上げては困る理由が何かあるのでしょうか。
一方、当日相模湾では海上自衛艦のまつゆきが公試中。公試とは模擬標的機を飛ばして狙い撃ちにする等の試験のようです。当時まつゆきには艦対空ミサイルが搭載されており、この標的機かミサイルが制御不能になってしまった(狙った方向とは違った処へ飛んでしまったのではないか)というのが彼女の推測のようです。(出典は青山透子さんの「隠蔽された戦闘機2機の追尾」週刊金曜日 2015.8.7号)
高島市の民家に飛んできた機関砲の銃弾からJAL123便の話に飛ぶのは文字通り飛躍かもしれません。でも、重大な事件に謎が多いのはJAL123便しかり、9.11然り。おそらく誰かがキーになる情報、明らかになると事件の全貌を解くことになるかもしれない事実を隠蔽しているからだと私は考えています。墜落でお亡くなりになった方々のご冥福を祈りつつ、そんなことを考える8月12日です。