遺された者こそ喰らえ
2013/12/19
最愛の妻を亡くし、あてどなく世界各国を放浪しているうちに辿り着いたチェンマイ。そこで知り合ったカレン族の女性と新たな人生を始めることになった吉田清さんの自伝。
最愛の人を死に奪われ魂がちぎれそうになっているときでも、お腹はすいてくる。なぜか。左記の本は真っ正面からそのことに向かい合います。ヒトの因果に迫る内容に私は拍手喝采。今朝の朝ドラのタネ本ですかね〜(笑)。
・・・
ヒトは生き物。運動しなくても心臓は動き、内臓は働き、そして頭はエネルギーを消費します。すると、どうしてもお腹は減ってきます。これはどうしても逃れられません。
如何に苦しい時も、どんなに悲しい時でもお腹は減ってきます。そんな時に物が食べたくなるなんて人情が薄いとか、自分が変だとか考えてはいけません。食とはヒトをヒトたらしめる特性であり欲求だからです。
でも、どうしても納得できない人は何故なのかとさらに自問します。最愛の奥様を亡くした吉田さん(著者)もタイの高位放浪僧トォン師へ問いかけたところ、お腹が減るのは、
天上の仏とその膝元に昇った人の霊が「生きよ、生きよ」と励ましてくれている証拠
と云ったらしい。
飯さえ喰っておけばチカラが湧いてくる、そうじゃないと天に昇った最愛の人の霊が苦しいんじゃ、哀しいんじゃ、・・・とのこと。
悲しみに打ち拉がれている人にはキレイゴトに聞こえるかもしれません。霊なんかいるわけないじゃないかと誹る人もいるでしょう。でも、食べるという行為の哲学的意味合いとしては、かなりイイ線をいっているんじゃないでしょうか。私はそう思うよ。
最初にこの本を読んだ時、私は目からウロコでした。今朝の朝ドラで関東大震災で夫と子どもを失った女性が断食の末、結局空腹に耐えきれずサンマにかじりつくシーンを見て、吉田さんのこの本を思い出した次第。喰わないと生きていけないというのは自明のようで自明ではないのかもしれませんね。
ところで、
吉田さんはその後カレン族の女性と結婚しチェンマイへ居を移し、現在の日常をblogで展開中。興味のある人は本だけでなくBlogの方もどうぞ。
・タイ山岳民族の村に暮らす チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”