想定外

.opinion 3.11

leaf1305茨城県のJ-PARC(原子核素粒子実験施設)で放射性物質が漏れた事故で、装置の作動不良が原因だと言い出したNHK。警報が鳴っても放置したのが最大の要因だったんじゃないですか〜。おまけに、想定外の意味を未だにわからない人が大勢いるみたい。いやになってしまいますね〜。

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想定外とは、まんま想定の外。つまり想定しようとしても想定できないことを指します。これは誰でもわかる。

ところが、その想定外について、想定していないのが間違いだった、きちんと最初から検討・考慮し、想定内にしておけば問題は起こらないと考える人が大勢います。気持ちはわかりますが、これは変。だって、想定できないから想定外なんですもんね。

想定できることは想定して対処する、これは当たり前。もし誰でもわかるような起こり得ることを無視したり考えるべきことを怠り、想定外にしていたとしたら、それは責任問題でしょう。

でも、先々何が起こるか、起きてみなければわからない。自然はいまだ神秘的だし、想定する側の確信あるいは思い込み、考え違いや人為的ミスもあり、総じて完ぺきなんてこの世にあり得ない。そう考えるのなら、「起こって欲しくないけど起こる」不測の事態つまり「想定外」がたしかに有ることを私たちは最初から了解しておいた方がいい。

じゃそんな想定外に対処する方法はないのか。いいえ、あります。

treeleaf13思い描けない想定外を考えるのではなく、起きた時の影響の大きさの方を勘案し、被害が致命的にならない程度に予め対象行為を制限しておくという方法がそれ。何が起こるかわからなくても、結果として起きる被害の数々、たとえば私たちのケガ、疾病、感染、被爆、はては財産の消失、地域や環境の破壊から逆に状況を眺めていくという方法なら、すべてを想定する必要はありません。

原子力発電で考えてみましょう。事故ったら、いったい何が起きるのか。何が引き金になるのか、どんな順番でどういう風に被害が大きくなるのか、すべてを想定するのはきわめて難しい。そう認めたとしても、被害を受ける側の被害の大きさはそれなりに想定できます。

時間的スケールは個々人の数年から一生涯に渡り、最悪なら世代を超えての被害となりますし、空間的な被害スケールも、3.11で明らかになったように数10kmだけの範囲では済まなくなるのは簡単に想定できます。つまり、事故想定は難しいけど、被害の方は想定しやすいのです。

一度起きたら人にも自然環境にも取り返しがつかないことが起こり得ると認めれば、想定内であろうと想定外であろうと困るのは私たち民の側。やりたい側にあれこれ想定精度を上げさせるよりも、最初の行為(この場合は原発)を止めさせる方を考えなければなりません。これが予防原則のルールです。

いくら想定しても想定できないから想定外。想定をより精緻にしたら良いという話が出てくるのは、想定外という本来的意味合いを未だに世間一般が理解していない証拠です。「想定外を想定する」というのは、対象行為をやめるということを原則的に含むのだと了解していただきたい。

以上、想定外と予防原則との関係について、でした。

ところで、もんじゅの装置点検漏れといい、今回の警報オフといい、原子力関係はあまりにも杜撰です。警報オフは常態だったのでしょうし、換気扇オンで被害の外部拡大を招いた事態をみていると、やってはいけない人たちが危険な行為をやっているとしか思えません。あまりにもお粗末。
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