大震災名言録

.Books&DVD…

大震災名言録―次の災害を乗り越えるための知恵藤尾潔 著  光文社 1997/8/30
この本はホンマに笑えます。でも、笑いの背後にある震災の教訓を学ぶことができるかどうか。それは読者如何です。…


95年の大震災でいったい何が起きたのか。マグニチュードはいくら、人が何人死んだ、ケガをした、家が何軒潰れた、建物が壊れた、どこの道路が落ちた、どれくらいのお金や財産がなくなった…、でも、人の生き死には数字ではありません。そういう現実のデータを並べたところで、被災者一人一人を取り巻く被害の実態にはとても迫れるものではありません。この本は、そのさまざまな被害実態を、約1ページ単位のエピソードでまとめており、どれもが思わず笑ってしまうような話に仕上げられている点が最大の特長となっています。

著者曰く、家財資産と引き替えに被災者は多くのネタを手に入れた。そのネタの値段は1つ500万円、1000万円のものはざら、これは何としても残さねばならない。「忘れるくらいなら笑ってほしい」とのこと。なんとも凄まじい。

この本の書評はamazonで読むことができますし、本の最初にある田辺聖子さんの推薦文も秀逸です。でも、この本がメディアのタブーへ挑戦している点に触れておかねばなりません。

震災が起きた時、メディアは被害の状況や被災者の苦しみ、復興への希望や支援者の活動…、いろいろ報道します。でも、TVの画面や新聞の紙面から消されてしまう話も存在します。メディアが報じない理由はさておき、この「大震災名言録」は、(知ってか知らずか)メディアのタブーを無視している点が私には非常に貴重なものに思えました。

たとえば、避難所内の政治権力闘争を日本の歴史に例えてみたり、炊き出し配給の語られない実態に迫っています。私が知らなかったのは「震災初日から2日目あたりはごちそうを食べた」話。水や食べ物に困っていたはずではないのかと思っていたら、要するに冷蔵庫などにあるものを腐らせる位なら食べてしまおうというケースが多々あったとの説明です。納得。
また、役に立たない「救援物質」を送るアリバイ的支援者たちの滑稽さ、野次馬ボランティアや自己満足ボランティア等への視線は厳しくも明快です。宗教団体の支援活動の実態や政治家や行政の愚かさ加減も遡上に載せていますが、一方で某宗教団体のカレーが美味しかったという評価は生々しくも微笑ましい。

また、震災後の泥棒が横行しているのに「震災後1ヶ月は犯罪が減少」とした兵庫県警の奇っ怪さに言及しながら、ヤクザの親分らが支援活動に勤しみ地域住民に感謝されたこと伝え、ヤクザと長期ボランティアはいっしょであると任侠道で分析する下りも非常に面白い。
また、自衛隊の救助活動をまぢかに見た若者が自衛隊に入ろうとする話もメディアが伝えなかった話ではないでしょうか。そのメディアですが、報道のおかげで義捐金が集まったことを触れながら、しかしメディアの犯した数々の出来事も紹介しています。

一方で、被災者側の話も決しておもねることなく紹介しています。たとえば、自衛隊の支援(私は軍事演習の一環だと思います)に甘えて何でもさせてしまう被災者の話や、夜遅く一杯かげんで避難所に帰ってきたサラリーマンが無理な弁当要求で役人をいびる話など、おかしいものはおかしいと容赦していません。

とにかく笑えます。大震災を笑い飛ばし、そして記憶に留めようという意図は十分に成功しているというべきでしょう。単行本のサブタイトルは「忘れたころ」のための知恵。文庫では次の災害を乗り越えるための知恵とありますが、はたして私たち読者が知恵として昇華できるかどうか。次の大災害でこの本が活かされるのかどうか。笑いながら、そこがちょっと気になりました。この本の中で、被害の拡大の原因となった行政責任を打ち消すような話が登場しますが、それは役所関係者からの情報の鵜呑みなのでしょうか。

被害を拡大させた都市計画の失敗、大災害が起こるまで手を打とうとしていなかった行政責任、あるいは誰もが他人まかせにしていた災害予防など、大震災の背後にある人災的要素を放置してしまうと、被害はどこかでまた繰り返されます。

この本は2001年に文庫本になっています。この本の笑いを活かすためには、別に紹介する「神戸黒書」のような、阪神大震災の背後にあった人災的原因を追及した書籍と併せてお読みになることをお薦めします。