借家と持ち家の文学史

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借家と持ち家の文学史―「私」のうつわの物語「私」のうつわの物語
西川祐子 著  三省堂 1998/11/10

この本は、日本の「私小説」が家のありようとは不可分であることを明らかにし、文学作品の新しい読み方を提示することに成功しています。著者の意図とは違うかもしれませんが、家づくりという視点から眺めても貴重な資料となっています。…



著者曰く、日本の家は「いろり端のある家」から「茶の間のある家」になり、80年代はじめには「リビングのある家」になってきたとのこと。明治以来「たった1世紀余りのあいだに三種類の家と三種類の団欒、すなわち三種類の家族の形と、さらにその後を生きている」と説明しています。また、著者は「日本語の小説は家族と住まいばかりを書いてきた」とし、私小説の「私」たる所以とはそういうものだと述べています。云われてみれば、たしかに納得できる話ですね。

全体を通じ、この本では、借家から郊外の家、そしてマンション住まいと変遷してきたのが小説の世界ではどう表現されてきたのかを論じています。一般に小説を読む場合、筋立てとか展開、登場人物の動きに目が奪われてしまいますが、舞台となった家の姿に目を移しながらの読解には、別の違った興味が沸いてくるから不思議なものです。

とくに、小島信夫の小説を題材にしながら、「個々人は自分と家族のために家を建てたのに、それぞれの国民が家を建てるということは、じつは国家をつくるということにほかならなかったということを書いてきた」と読み解く下りは圧巻です。著者はこのことを「無頼の作家でさえ我知らず、国民教育のための小説を、国民教育装置である新聞雑誌に書いた」としています。家づくりの本質が全部そう言い切れるかは別として、持ち家政策が国家安定政策になったという観点でいえば、先の隈氏の解説と同じところにあるというべきでしょう。この視点は大切だと再認識した次第です。

取り上げられた小説家とその作品はおよそ100。古くは樋口一葉や島崎藤村に夏目漱石など、最近では大江健三郎や吉本ばなな、大島弓子(漫画家)まで網羅されていて、明治から現代に至る作品中に書かれた家の姿を探っています。私自身でいえば、読んだことのある作品がわずか8つだったので、小説の世界と縁遠いことを改めて痛感してしまいました。

この本は、書店では文学評論の棚ではなく、建築関係の所に置いておくべきものでしょう。家づくりに興味があり、小説好きの方にはとくにお薦めです。