昔陸軍、今東電

.opinion 3.11

ときどきネットで見かける名文句に、「昔陸軍、今東電」というのがあります。陸軍に限りませんが、この国の軍隊は先の戦争の時、事件をでっち上げて戦争を始め、戦局が悪化しても勝っていると国民を欺き、最後は国土を焦土にしても抵抗せよと迫り、戦争に負けたら国民1人1人が悪いんだとして軍の戦争責任を曖昧にしてしまいました。そのことと今回の東電福島第一原発の事件を重ねての話なんでしょうが、言い得て妙。

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軍隊だけではありません。国は戦時体制を継続させるため、大政翼賛会という公事結社(制度)を作りました。死んだら英霊だと持ち上げ、一方で戦争に反対する者は非国民呼ばわり、徴兵制に反対しようものなら牢獄行きです。ほとんどの学者や知識人そして芸術家までもが(進んで、あるいは不本意ながら?)協力し、良識ある抵抗者の方が圧倒的に少ない状況でした。

そういう全体主義的な社会に対し、新聞などのメディアは抵抗するどころか積極的な提灯持ちを演じ、国民の知る権利を奪いとるだけでなく、戦時体制を構成する一要素に成り下がっていました。要するに、軍隊も国も知識人もメディアもファシズムの実行体であり、全く信用ならなかったわけです。

昨年3.11以降の、この国の状況を上の話に重ね合わせてみましょうか。

本来危険で、事故が起きると取り返しのつかなくなる原子力発電を安全だと喧伝して進めてきた東電、関電などの電力会社(沖縄電力だけは原発を行っていない)。原発を国策事業と位置づけ、その推進のための法制を整備し、補助金などをふんだんに注ぎ込んできた国。

事故が起き深刻な状況になっても、東電は事実を伝えず、国は爆発の危険性を隠して多くの人々を被曝させ、放射性物質による汚染については「ただちに危険ではない」等と嘯き、その後汚染が明らかになっても被害はないと御用学者を動員して国民を欺いています。

本来正しい科学的知識をもって国民を守るべき学者たちは、国や東電のゴマカシに歩調を合わせ、科学をねじ曲げ、被曝基準の改悪にも抵抗せず、国民を被曝させても構わないかのような言動の繰り返し。

一方、メディアは東電や国のスポークスマンと化し、メルトダウンの危険性を訴えた一部報道をウソ呼ばわり。実際には建屋が破壊されているのに資料映像(事故前の映像)を流してゴマカシ、ひどいことにNHKや朝日新聞などは自分らは遠く安全な所に逃げておきながら、国の間違った避難区域設定をたれ流しました。言い出せば数え切れないほどのウソとゴマカシが、3.11以降延々と続いています。いちいちあげつらうのが億劫になる位です。

極めつきは東電の厚顔無恥! 給料は大企業の平均以上に欲しいと云ったり、ボーナス用にと血税を要求したり。事故責任を問われると「自分らは悪くない、国の云う通りにやってきただけ」的な弁解まで出てくる始末。過失無過失問わず、他者の生活や財産を毀損した意識は全くなし。東電の労働組合委員長なんか、組合の支援している議員が脱原発と唱えたら「報復せよ」と云い出す始末。ヤクザな証明。こんな企業が日本を代表する会社(だった)としたら、私はとても恥ずかしい。

さて、今度は原発再稼働が目前に迫ってきました。「昔陸軍、今東電」に対抗する道はあるのか。私思うに、1人1人が日常生活において原発の再稼働には意味がないことを証明していくことこそ基本ではないかと考えます。具体的にそれが何なのかは、それぞれで考えてみて下さい。