光のダンス その2

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さぁ、印象派の絵の秘密に迫っていきましょう。
モネは目が悪く、晩年には白内障を患っています。したがって、絵を描こうにもピントがはっきりしなかったはず。その代わりといっては何ですが、目が悪いが故にカタチを色彩で捉えることができた。そのぼやけたカタチの視覚をそのままキャンバスの上に展開したのが彼の絵の特長だったと考える方が自然です。

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つまり、モネの絵は左脳を使う前の感覚的な認識そのもの。そんな絵を理論や理屈で理解しようとしても難しい。できることといえば、心に響くかどうか、そして好きか嫌いか、みたいな感覚的な評価でしょうか。だからこそ、嵌まる人には嵌まり、印象に残る、つまり名前の通り「印象派絵画」となるわけです。

だって、モネの絵が彼の眼で見たままだったとしたら、余計なことをあれこれ小難しく考えてもわかるはずもなし。おそらく、これがモネの絵の秘密。私がそのことに気づいたのは自分も近眼で乱視なので、同じような雰囲気に見えたからかもしれません。

さらに話を拡張し、印象派の絵描きたちが表現しようとしたものとは、見たままの光の表現方法の違いだと考えてみましょう(作業仮説だとお考え下さい)。だとしたら、写真でもある程度それを再現できます(注)。次の写真をご覧下さい(クリックで大きくなります)。

まるで、光のダンスでしょ? ボケ画面に光の丸点が蠢いています。これこそ、私が撮りたい撮りたいと思っていた1枚です。

コントラストを少し強めにしましたが、それ以外は「撮って出し」。つまり、Photoshop等の編集ソフトでいじっていません。細工なしにこんなのが、それも狙って写せるんです。(2012年1月末撮影)

何をしたかといえば、前回紹介したピントずらし。つまり、焦点をずらしていくと、画面上の光源は絞りのカタチでボケになっていきます。シネマ用カメラで心象風景としてよく使う技法です。たとえば波打ち際では海面がキラキラしているのが見られますが、それを暈かしていく、あの感じですね。ただ、ある条件が揃わないと上の写真のようにはなりません。

関心のない人には何の変哲のない写真かもしれませんね〜。でも、私にとっては小躍りしたくなるような、大きな一歩(苦笑)。はじめて印象派の絵描きたちの内面に近づいた気がしたものです。そして、そこからさらに写真という行為にのめり込んでいくことになりました。

おまけでもう1枚、別の光のダンス。

拙宅のキンメツゲ。こちらはピントずらしではなく、被写界深度をどんどん狭くしていったもの。これもさっきのと同様、ある自然条件が揃わないとこんな写真にはなりません。その条件下でライブビューを確認しながら、開放値に近づけていき、気に入ったのを探したというわけです。ちょっと五月蠅い感じがしますが、まぁダンスにもいろいろありということでご勘弁。

普通のカメラ・レンズは合焦した部分の解像度を中心に設計されています。ところが、ライカやそのオマージュであるフォクトレンダーのレンズは合焦していない部分にも気配りするらしく、周辺ボケに芯があるのに柔らかく、なかなか面白い絵を作り出します。素晴らしい! 工業製品に対する考え方では日本製の方が普通でしょうが、アート的な捉え方ではどうなのか。そんなことを考えさせられます。

ということで、印象派の絵画風写真の紹介でした。どちらも印象派の絵画そのものを再現するわけではありません。でも、絵描きではない私たちの眼でも光を点々で追跡できたり、ボケを活かすことができることがわかっていただけましたでしょうか。

ポイントはそれらが偶然の産物ではなく意図して作れるということ。画像編集ソフトでデッチあげるという手もあるのですが、それでは自然ではないし個人的には面白くも何ともありません。まぁそんなことより、光がダンスしているように見えたら幸いです。

〔注)モネの眼を解剖学的に解説した人もいますが、そこまで理屈っぽくすることはありません。カメラの能力を借りれば、ある程度モネの眼に近づくことができる、点描画も同じ、その他の絵も可能というのが私の言い分です(でも腕がそこまでついていっていない)。