震災死 生き証人たちの真実の告白

.Books&DVD… 3.11

震災死 生き証人たちの真実の告白著者は吉田典史さん。
帯書きには「メディアでは語られなかった”死”の真相!」とあったので、「メディアはウソをつく」というのが持論の私としては、すぐゲット。
やっぱりというか何というか、震災で死んだ人たちを御用メディアが勝手に美談化して、それを真に受けた大勢の人が増幅していく流れが示されてします。でも、著者の目的は必ずしもメディア批判ではなく、美談や作り話で私たちが失う問題の方を危惧し、私たちが真実を知り次に活かす大切さを訴えています。

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著者は震災に直接向き合った検視の医者や歯科医、そして被災者遺族、あるいは人命救助や遺体捜索に関わった消防、警察等々の人たち、震災研究に取り組んできた学者研究者に取材を行い、自分自身の現場体験と照らし合わせながら、いったい3.11で何が起きたのかを淡々と書き起こしていきます。

被害を受けた人はいったいどういう目に遭ったのか、どういう死に方だったのか。メディアでは被災者にトラウマを与えてはいけない等と自主規制。信じられないようなシーンが展開される津波映像は避け、死体映像などを茶の間に持ち込むことはしませんでした。

それはそれである種の判断といえばそうなのでしょうが、その代わり被害や被災死の甚大さ・深刻さ・残酷さ・無惨さから私たちを遠ざけてしまい、おそらくそれは早々とした記憶の風化に繋がっていくことでしょう。

本の中で触れられている中に、津波からの避難アナウンスを続けて亡くなった人のことがあります。死を怖れず最後の最後まで避難を訴えた美談としてメディアなどで取り上げられていますが、彼女は庁舎の階上なら津波は襲ってこないと信じ切っていたため、逃げ遅れただけだというのが著者の見解。

もし津波を甘く見ていなければ早々に逃げるという判断ができたのではないか。アナウンスの後で建屋の屋上に退避すれば問題なしと考え、死ぬことを前提にして放送を続けていたわけではないから殉職ではない。つまり、津波被害の認識が誤っていたのであって、美談とは話が違うというわけ。なぜ地震や津波に対する認識不足が生まれたのかを再検証しない限り、また同じようなことが起きてしまうと著者は指摘します。厳しい見方ですが、こちらの解釈の方が当たっているものと私も考えます。

要するに著者の言い分とは、

  • かけがえのない死を無駄にしてはいけない。
  • 個々の死を美談にしてはいけない。
  • 震災死を正しく検証することで次に生かすのが私たちの「義務」。

というものです。私流にいうなら、「震災死を褒め殺しにするな」でしょうかね。

「次」は起きてほしくないのですが、その保証は全くできません。だとすると、死を美談にせずにしっかり検証する努力こそが、死を無駄にしない方法だという著者の言い分は全くその通り。