いい絵 その2

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好きな絵を一枚、思い浮かべて下さい。なぜ好きなのか、どこが気に入っているのか、他にない魅力があるとしたらその魅力を言語化して伝えることができるかどうか・・・。そんなことを考えてみると、「いい絵」の意味するものが曖昧になってくるはずです。

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自宅や職場に絵画を飾る人はいったいどれくらいいるのでしょうか。絵画といえば、本や新聞TV雑誌の紹介欄で見たり美術館の展覧会で見るモノという人が多いはず。要するに、絵画を仕事にしていない者にとって日常的に接する機会はきわめて少ないのが普通です。

この状況が当たり前になってしまうと、美術関係者の評価やコマーシャルな人たちの価値判断をベースにして「いい絵」かどうかを判断しがち。これはマズイ。先にも記したように「いい絵」とは人それぞれ、価値観の多様性を反映するはずだから。

一方で商業主義や権威主義を離れて絵画を見ることができるかどうかといえば、これがなかなか難しい。というのも、私たちの価値観は(よほどの哲学者でもない限り)外界の影響を大きく受けるため、権威筋がいい絵だと云った絵をそうだと考えてしまいます。だいいち展覧会というのはあまたある絵画のごく一部だけを「これはいい絵です」といって紹介するようなもので、その背後にある無数の絵は評価の外へ追いやられてしまうじゃないですか。

厄介なことに時代の流行というのもあります。2つほど例を提示しましょうか。まず1つ目。

今から110年前。その絵はあまたある絵の中の、さほど有名でない1枚だったらしい(出展うろ覚え)。ところがその絵が盗難されて世間を騒がせます。幸運にもその後イタリアで見つかり、2年後に美術館へ返還されるのですが、この一連の事件報道のおかげでその絵は一躍有名となり、それ以降、誰もが知る「名画」として現代まで伝えられることになりました。その絵とはダ・ビンチの「モナリザ」です。

モナリザがいい絵だというのは納得しますが、盗まれた絵が別の絵だったら今頃はどうなっていたのか。優れた絵いい絵がたくさんある中で、盗難事件報道によってその存在を広く知られ、名画中の名画たる所以が広く認識された実例です。

2つ目はバーンズ・コレクション。

アルバート・C・バーンズさん(米国人)による世界最大級の印象派絵画コレクションですが、印象派の絵は色を塗りたくっただけなどと当時の評論家達から批判を受け、収集品の公開を止めてしまいます。これまた100年前の話。

その後の印象派絵画の評価は皆さんご存じの通りで、当時の評論家達が絵画の価値を見誤っていたというべきところです。即物的な商業主義やそれに寄り添う権威主義というのは時間の研磨に耐えられない、このことを教訓として覚えておきましょう(蛇足でした)。

ところで、その門外不出だったバーンズ・コレクション、美術館の改装を理由に1994年に日本へやってきました。この機を逃すとフィラデルフィアまで行かないと観ることができないと考え、夫婦で上京。大雪の降り積もった2月の朝、こんな日だったら入場者は少ないだろう、ゆっくり見れそう等と言いながら展覧会場へ行くと、開館前から長蛇の列!でびっくり。この大雪の朝の長蛇の列という個人的思い出が尚更「いい絵」効果に繋がっているようです(笑)。

さて、いい絵を見つける方法を私なりに1つ提案。身の回りに1枚でも好きな絵、気に入った絵を置いてみてはどうでしょうか。世間の評価なんか考える必要なし。お金があればそれなりに、無ければ雑誌の切り抜きを額に入れたりしても良し。そんな絵を何かの機会にふと眺めると、心が和み、焦りや苛立った気持ちが落ち着くことがあるかもしれません。それがあなたにとって「いい絵」なのです、きっと。

Nyoman Tusan ;バリの画家(故人)。ネカ美術館にあるライスゴッドの習作。アグン・ライさんから購入(1994)。