フラットとアノニマス

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大型連休が終わりました。国内での行動制限がほぼなくなり、全国各地で観光客が増。今後新規感染者数のアップダウンを繰り返しながら新型コロナ禍は終息に向かうのでしょう、きっと。
こちら秋頃までの旅行計画を立てながら宿の予約を進めている最中です。その中で気になったのは、各地の料理の内容が均質化してきたこと。これまで旅に出かけるとご当地独自の美味しい料理やモノをいろいろ食べるのが楽しみでしたが、そう簡単には問屋がおろしてくれなくなりました。いやいや国内だけでなく海外も同じ状況のようで、香港・イタリア・フランスなどでもローカル色が薄れてきた感じがするのは私だけでしょうか。

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今年の緑、木陰が緑色に染まるのに感激。(5月3日 @鞍馬寺)

今年、九州や東北への旅を考えて宿を探していたら、個室露天風呂付の部屋が著しく増え、料金はうなぎ登り。どこかで流行ると真似する処が出てくるのは必然ですが、富裕層だけにターゲットを絞る戦略には大きなクエスチョン。また夕食のメインは肉の産地に違いはあるものの、すき焼き・鍋・ステーキ・石焼きなどにパターン化している処が多い。盛り沢山で豪勢な食事を好む人が多いためか、地場産食材を使ったローカル色豊かな料理を食べられる宿は少なくなってきたように感じます。

一方、新しいレストランや高級旅館の中には今風な無国籍料理を採用する処も増加中。でも見た目は斬新でも肝心の味は・・・という処もあって玉石混合。エルブジやノーマ等のトレンド追随で集客を目論む気持ちはわかりますが、見栄えやサプライズ重視がメインな料理にはちょっと警戒心を抱きます。

そういえば他の国でも、ここ10数年、街角の雰囲気が何か似通ってきました。レストラン料理もトレンドを意識してパターン化したものが増えているような感じです。どこも世界トレンドを追うことで集客を狙っているのでしょう。でも、これじゃわざわざ特定の目的地へ行く楽しみが減ってしまいます。

なぜそんな状況になったのか。その理由は何か? なかなか言語化できず困っていたら、現在の大都市を「匿名に満ちた均等な現代空間」と捉える考え方(マルク・オジェ『非-場所』 水声社 2017)を紹介している本を読み、なるほどと腑に落ちました。

要するに、世界津々浦々にネットが張り巡らされ、いろいろな情報が瞬時に行き渡るようになった現代では、どこもが均質化してくるということ。世界のフラット化は煎じ詰めればアノニマス(無名)化だったというわけです。(この場合、anonymousを匿名と訳すよりも、名無し、金太郎飴、とすれば辻褄が合います)

フラット化される世界でローカル色が消えていくのは必然なのか、それとも皮肉な偶然なのか。個々の特質や特殊性がなくなると、旅の興味も減じることになりかねません。東北や九州の旅館やレストランの最近の状況に感じた違和感の正体は、この「アノニマス、名無し、金太郎飴化」の広がりのような気がします。

もし10年先の世界を選べるなら、私はアノニマスではなくユニークな世界の方がいい。だって、ユニークな方が面白いから。

琵琶湖のウナギと塚原のタケノコに舌づつみ(2022年5月3日 @美山荘)