直島時間 その6
2021/08/17
直島へ行ったという話を友人にしていたら、草間さんや杉本さんが米国で有名になるまで日本では評価されていなかったのは何故か、という問答になりました。これは面白い着眼点。というのも、日本では新人を評価してこなかった(できなかった)からではないでしょうか。
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先日草間さんの黄南瓜が荒波に流された時の報道の中に、前衛作家の草間氏・・・という書き方がありました。久しぶりに聞いた表現ですが、草間さんが前衛だと云われたのは半世紀も前のこと。未だに前衛だというのは、たぶん書き手が古い人間だという証拠です。
なぜ草間さんが前衛だと云われたかといえば、当時の伝統的なアート界にとって理解できない造形や色使いだったから。でも、彼女は米国でその才能を認められ、逆輸入という形で日本でも有名になりました。杉本博司さんも同じです。
日本のアート界が新しい才能を見出せなかったのはなぜか。煎じ詰めれば、そういう仕組みだから(以下私見です、念のため)。
日本のアート界にはいろいろな会派があり、それぞれが会費や参加費や登録費を集めています。何回も費用を支払って展覧会で入賞したら1つ上位の席へ、さらに上位へ行くためには何度も何度もお金を使って入賞しなければなりませんし、人間関係を良好に保つ努力も必要でしょう。そういう上納集金のピラミッド型階層構造の最上位のものに人間国宝とか文化勲章を与えるというのが日本の絵画・工芸などのアート界。
アート界だけではありません。どんな分野でも大なり小なり保守的で前例優先の権威主義。作品の価値は国や大御所が評価していることが前提で、そういう権威が認めたものこそが良いものとされるのです。
そういう考え方が日常化すると関係者だけでなく皆が本質的な価値を評価しなくなり、名前が(日本で)売れるのはピラミッドシステムのトップだけ(でも、世界では売れません)。これが日本で新しい才能が登場しない・できない理由でしょう。これじゃ若い野心のある人はやってられませんから、米国などのグローバルな場所へ飛び出していきます。草間さんも杉本さんもそうでした。
じゃ、なぜ欧米では新たな才能を発掘できるのか。おそらく莫大な資金力を持った人たちが新たな才能にお金を出すから(スポンサーになるという意味)。
身もフタもありませんが、アートを育ててきたのは大金持ち。ルネッサンスならレオナルド・ダ・ビンチを登場させたメディチ家。今ならプリツカーとかグッゲンハイムなどの超富裕層がそれに相当します。
(アートするなら米国がいいと日本から飛び出した)UCLAアートの友人が「アート買うのはユダヤ系の大金持ちやもんね」と言うのも宜なるかな。ちなみにモダンアートがわかりにくいのは、そういうお金持ちの嗜好性を私たちが理解しにくいのが1つの理由ではないでしょうか。
日本にもそういうお金持ちはいました。大原孫三郎さんや福武總一郎さんがそうです。倉敷紡績創業の大原さんは90年前、印象派の評価が定まっていない時代に画家の小島虎次郎さんに依頼して作品を買い集め、大原美術館という傑出した美術館を作り上げました。
一方の福武さんは先日来紹介している直島のベネッセアートサイトの設立者。とくだん既存美術界に柵みがなかったせいか、自身の目利きで新しいアートを集めた成果がナオシマ。先のUCLAの友人曰く、直島へ行ったことのあるアート関係者は皆良かった良ったとの評判らしい。モダンアートの世界ではナオシマは行くべき場所というわけです(米国で有名になった者が展示されているからグローバル)。
・・・と書いてきて、最近は日本でも新しいアーティストの作品を取り上げる人や美術館が増えてきましたね〜。従来の権威筋が高齢化して影響力がなくなる一方で、新しい目利きや資金源が動し出してきたというべきところでしょうか。雑誌のBRUTUS Casa(2021 September)を見ているとそんな雰囲気です。直島アートを見てそんなことも考えた次第です。