直島時間 その3

.Travel & Taste art

杉本博司さんはベネッセハウスで最も作品数が多いアーティスト。今夏直島を旅行先に選んだのは、護王神社の硝子の階段をまた見たいからという連れ合いの要望もありました。数年前に友人と直島を訪れた時に杉本さんが作った硝子の階段に感激したらしい。

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美術館には世界中の海の水平線を撮した杉本さんの写真が内外に多数展示されています。画面は上半分が空、下半分が海の2分割構図、おまけにモノクロなのでどれもいっしょに見えてしまいます。

昨年、京都の細見美術館でこの写真を最初に観た時には???。これをアートと云われても???というのが正直なところ。ベネッセハウスでもじっくりと鑑賞しているような人は見かけませんでした(笑)。

でも、「何これ?」な写真が整然と、しかも実際の水平線に合わせて多数レイアウトしている様は水平線の意味するところをどうしても考えたくなってしまいます。まぁ作家の感性を論評するのは自身の内実の空虚さを白状してしまうのに等しく、わからないものはわからないとし、とりあえず「何これ?」にしておきます。(注記1)

ところで、この水平線写真、タイトルは「タイム・エクスポーズド」。杉本さんは写真に時間変化を加えるべく、屋内ではなく屋外に写真を展示することにしたらしい。それでも展示の劣化が進まないので海岸の崖っぷちにまで置くという荒技に出ました。下の通りで額縁が壊れたり、硝子面が割れています。聞けば、杉本さんはこの変化を妙に喜んでいるらしい。

一方、パークにある氏の「光の教会」は考えさせられること多々。この作品は安藤忠雄さん設計の、大阪の茨木市にある教会内部を撮影したもの。正面十字のスリットから流れ込む光がやさしく礼拝堂を照らし出しています。いい写真ですね〜。

「写真はドキュメント(記録)なのか、アートなのか」という議論が昔から繰り返されてきました。その流れでいえば、杉本さんの写真はまさしく後者。なぜなら、この写真は単に現場を撮ったというのではなく、そこで私たちが感じる、やさしく暖かい光の印象をうまく引き出しているから。

実はこの写真を観る前日、同じく直島のANDO MUSEUMでこの教会の建築模型やスケッチを見ていました。そこにある写真はまさしく資料(ドキュメント)。でも。先の杉本さんの写真の方は光そのものをテーマの中心に据え、礼拝堂の椅子などが暗く沈んで写っていても問題なし。だって、私たちが受け取るのは光がもたらす印象であって、そこにあるモノの情報ではありません。(注記2)

大胆にいえば、絵画や造形、そして写真はどれも私たちの印象や心象を表す手段にしか過ぎません。手段を区別する特段の理由はなし。その中で写真を使えば何ができるのか、改めて写真の訴求力について考えさせられました。

直島で杉本さんといえば、写真以外にも護王神社や硝子の茶室(聞鳥庵)などの造形物も注目です。とくに硝子の茶室については従来の茶道へのアンチテーゼなのでしょうか。というのも、茶室は暗く狭く特別の空間として戦国武将らの高尚な術策陰謀の場として機能してきた歴史があり、それを透明化したことに拍手喝采したい位(勝手な解釈です、笑)。まぁどれも含蓄のある印象的な作品なのでご興味の方はベネッセなどの紹介をご参照下さい。

杉本博司「観念の形 003 オンデュロイド:平均曲率が0でない定数となる回転面」(2005年) @ベネッセパーク

(注記1)思い起こせば、「何これ?」感覚はピカソを最初に観た時も同じでした。でも1988年にバルセロナで青の時代の作品をいろいろ鑑賞し、続くマドリッドで「ゲルニカ」や「泣く女」の習作を観た後になると違和感がなくなりました。

(注記2)「光の教会」の横に、同じく杉本氏撮影のロンシャン教会(フランス 1955建造)の写真もありました。こちらはル・コルビジェ設計で、これまた内部に漏れ出る光が印象的な場所。キノコの森に出てくるような、私にとっては3DCGソフトの「formZ」で知った構造物。どうやら安藤忠雄さんの建築はロンシャン礼拝堂の印象を新たに、そして自分流に表現したものなのかも。杉本さんの光の写真はその系譜を示しているようです。