オランダの思い出

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newG131988年の春、今から25年前の4月の終わりから5月の初旬にかけて私はオランダにいました。訪れたのはロッテルダム、アムステルダムにホールン、アンダイク。他にもアムステルダム、ハーレム、ユトレヒト、デルフト、デンハーグそれにキューケンホフなどにも足を伸ばしました。
オランダと日本は江戸時代に交易があったので比較的良好な関係かと思っていたら、仕事でお会いした人に、あからさまに日本人はキライだと云われ、その理由を聞いてびっくり。私の歴史認識の欠如に唖然とした覚えがあります。今回はその時の記憶に関する話。

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当時オランダ北部のアンダイクにある最新鋭の浄水場を見たかったので、そこの設計を担ったオランダ人に連絡を取り、見学の日取りを決めようとしたのですが、いろよい返事が返ってきません。何度かせっついて、私が現地に来たら日程調整したい等という所まで約束をとりつけ、近くのホールンへ向かいました。

やっと会って下さった相手曰く、「日本人はキライだ、どのツラ下げてオランダに来たんだ(概意)」等と最初からツッケンドン。面食らってしまいました。聞けば、先の戦争の時、日本軍がインドネシアで行った残虐非道をオランダ人は忘れていないとのこと。日本人キライなのはそういうわけみたい。

ikebana1304インドネシアは大戦前はオランダの植民地。それを日本が武力で奪った時の話はあまり日本では伝えられていません。大島渚(故人)の「戦場のメリークリスマス」はその例外のようですが、私はその映画を観ていませんでした。

今では広く知られるようになった韓国人に対する従軍慰安婦問題。でも、日本軍がインドネシア等でオランダ女性についても同様なことを行っていたことは知らない人も多いのではないでしょうか。私だって、88年に面と向かって云われるまで(知識としてはあっても)重く受け止めていなかったのは大失態でした。25年前の私の歴史認識とはその程度のものだったのです。

戦争のことですからお互い非道な話はあったはずですし、昔のことで私なんかを責められてもどうしようもありません。でも、オランダ人が日本について語る時にはインドネシア戦の話が登場し、日本人に対して嫌悪感を持っている人が少なからずいる、という事実に考えさせられてしまいます。

幸い、顔合わせて直接あれこれ話をしたことで最後はなんとか打ち解け、当時出たばかりのIBMのPS/2パソコンをどちらも持っていたこともあり、パソコンのハード・ソフトの話題で盛り上がったことを付け加えておきましょう。


newleaf1304オランダとの戦争に関していえば、ベアトリクス女王の話も記憶に残っています。1991年にベアトリクス女王が来日した時、天皇晩餐会の挨拶で「オランダは第二次世界大戦の時日本がオランダに行ったことは忘れていない」と自国民の反日感情を示しつつ、でも「今後の蘭日の友好を進めていこう〔概意)」という趣旨の話をしたのです。

私には1988年の記憶があったため、相手国で顰蹙を買いそうな憎まれ話をさらりと云ってのけたオランダ女王の気っ風に感心しましたが、日本のニュースではハレモノ扱い。その意味を掘り下げようとするメディアはありませんでした。

オランダ王室といえば、伝統的に筋の通った云い方をする血脈なのか、ベアトリクス女王の祖母、ヴィルヘルミナ女王はもっと凄い発言をしています。

ヨーロッパの100年(下) 何が起き、何が起きなかったのかナチスに侵略されイギリスに逃げていた女王が戦後オランダに戻った時のこと。当時の政府は「悪くなかった者は良い者」という考えでしたが、女王は宮殿挨拶で「良くなかった者は悪い者」だと主張し、居並んだ政治家らに、「どこの収容所にいましたか」と聞き回っていたとのこと。会場は(居心地の悪さなのか)しんと静まりかえっていたそうな。(出典は、ヘルムート・マックの「ヨーロッパの100年(下)」)こんな筋の通った意見表明をするオランダ王室ですが、その伝統は130数年振りの国王即位でどうなるのか、興味は尽きません。

とにかく、オランダの話題になるといつも、私自身の、88年当時の歴史認識の不味さと、その時の居心地の悪さ、恥ずかしさを思い起こしてしまいます。でも、そのことが歴史に学べというシグナルを再発信してくれる気がしますから、戒めのようなものですね。


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