埼玉プール事故:原因と責任の所在

プール事故

ふじみ野市大井プール吸水口での事件から1ヶ月。昨日31日被害者のご両親が感情を抑えた手記を発表し、『原因と責任の所在』を明らかにして頂きたいと要望されました。でも、被害者両親のささやかな願いは本当にかなうのでしょうか。…

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まず現象面でいえば、原因とは「吸水口の安全柵がはずれていたこと」。

でも、何故はずれていたかと考えるなら、安全柵は腐蝕するような針金固定でなされており、いつでもはずれる可能性があったのですから、「吸水口の安全柵がきちんと固定されていなかったこと」が原因としても大きな差異はありません。でも、これら直接的な因果関係だけでしょうか。私は違うと思います。

  • なぜ、針金固定でも大丈夫だとプール現場は考えていたのか。
  • 針金固定を考えたのはいったい誰か。
  • ふじみ野市(旧大井町)はその針金固定を指示したのか、知らなかったのか。
  • 現場からの連絡はあったとの報道も出ていますが、では何故放置したのか。
  • ボルト締めができない不備を指摘したプール業者が競争入札から除外された理由は何だったのか等々。

現象面の原因としてはやはり、簡単にはずれるような安全柵しかついていない「危険な吸水口のプールを使い続けていた」というのが妥当なところ。いつはずれてもおかしくはない安全柵だったのですから…。

さらに、その「危険な吸水口のプール」の構造に関して考えると、プール設計当初からの安全性確保に問題があったと考えざるを得ません。

  • 出水管には吸い込み防止の縦格子があるのに肝心の吸水管の口には何故ないのか。
  • 吸水口の安全柵の取り付けがあまりにも場当たり的で簡単なのは何故か。
  • 設計図面や施工図には吸水管回りはどう記載されているのか。
  • 安全対策がないのなら、そんな危険な設計施工を行った者たちはいったい何を考えていたのか。
  • そもそも流水プールの安全設計として何を考慮していたのか等々。

つまり、設計施工の問題から問題を検討していかないと、今回の「危険な吸水口プール」の原因は明らかになりません。また、全国他のプールにとっても事件が活かされません。被害者の命やご両親ご家族の無念さを反古にしないためにも、ふじみ野市などの真摯な対応を期待しています。

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次に責任の方を考えてみましょう。
事故現場・被害者に物理的に近いところにいた人たちから順にいくと、まず大井プールの監視員たちや現場管理者の責任があげられます。安全柵の固定を確認せずにプールサービスを供用していた、安全柵がはずれているのを遊泳者から指摘されても適切な対応をとらなかったこと等がその内容ですが、彼らはプールで溺れる人のことを第一に心配していただけであり、吸水口の危険性について認識がありませんでした。したがって、その無知を責める前に、そういう者たちにプールの安全を任せていた管理業者や引いては市当局の責任の方を重くみなければなりません。

ところが、その管理業者である京明プランニングは、実際の管理契約業者の太陽管財から丸投げされた仕事を請け負っていました。どちらも吸水口の危険性についても熟知していたとは言い難く、現場の監視員らに指導伝達がなされていなかった、きちんとした管理マニュアルさえなかった等という実態が明らかになっています。

でも、なぜこんなシロウト同然の業者がプール管理の仕事を受託できるのか。ふじみ野市の場合、それが普通だったということであれば、危険でデタラメなプール運営を行っていた根本的な管理責任はふじみ野市だと云わざるを得ません。ふじみ野市を抜きにした事故責任の追及は全く意味がないと云ってもいいほどです。

(追記)
原因追及と責任追及は全く違うモノであることは多くの人が既に指摘しています。責任関係者が行う事故調査では原因の追及が甘くなったり、中途半端になる危険性が高いというのは当たり前のことかもしれません。それについてはいずれまた考えてみます。

さらに忘れてならないのが、埼玉県の保健所の監督責任。本来なら吸排水口に不備がある公営プールは保健所がストップできるはずでした。ところが、指導要綱に「吸水口の安全対策」がうたわれているのに当の保健所はチェックもせず、メディアに問いただされると、申請項目には吸水口に関するものはないから調べていないと開き直る有様。

数日前に埼玉県はプール指導要綱を改訂するとの報道が出ていましたが、埼玉県の上田知事はいまだにプール条例必要なしと云っているらしく、これでは愛知県のレベルにはほど遠し。危険認識が欠落した人たちのやることに大きな期待は寄せられません。

掴み所のない責任について、拙著「あぶないプール」では組織的過失と称しましたが、毎日新聞の高本耕太記者は「無責任の連鎖」と表現しました(毎日新聞 記者の目2006/08/29)。これらふじみ野市や埼玉県の行政組織に巣くう根源的な不作為、無責任の所在と同じものが全国津々浦々に蔓延していますから、全国的にも連鎖しているのかもしれません。問題の根は深い(国の通知行政については後日改めて考えてみます)。

それにしても、いったい誰に責任があるのか。
多くの人の安全認識の欠如が被害者の死亡という重く悲しい事実を招いてきました。それぞれ責任ある人たちは自らの関与を本当に理解しているのでしょうか。私は懐疑的です。吸排水口への危険認識が欠落しているがゆえに不作為と無責任が蔓延る現状では、いくら通知通達が出ても、いくら立派なマニュアルができても、被害はなくならないのでないかと危惧しています。

当初、プール吸排水口事件は「偶然起きた事故」とされ、「被害者にとっても管理者にとっても運の悪い話」程度にしか考慮されてきませんでした。トンデモナイ話ですが、90年代の事件をきっかけにプール管理者の責任が明確に問われるようになってきています。

1994年の鹿児島島金峰町田布施小学校の事件ではプール管理者である学校長が業務上過失致死罪となり罰金刑となりました。また、2004年新潟県横越町民プールの事件でも町の課長らが業務上過失致死の罰金刑となっています。したがって、今回の事件でも、プール管理者であるふじみ野市側の責任が問われないとしたら、プール吸排水口問題としては大きな後退です。捜査当局の今一番のご尽力に強く期待しています。