たかが電気

.opinion .Travel & Taste 3.11

ピエモンテの抜けるような青い空の下。収穫を待つ葡萄畑の合間にはヘーゼルナッツの木やコーン畑。そんな緑の丘をセグウェイでアップダウンしながら電気のことを考えていました。(左はAlbawaytour社のHPから)

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Albaという街

イタリア・ピエモンテのAlbaという町をご存じですか。「地球の歩き方」をはじめ、日本のガイドブックには影も形も登場しませんが、食いしん坊には白トリュフで有名な町(白トリュフがなくてもいいんだけどね)。周辺にはドルチェットやバルバレスコ、バローロなどのワイン畑があるといえば、ワイン好きにも事情がわかるというものでしょう。

このAlba周辺は、観光客はともかく、イタリア料理を志す日本の若者にとってメッカのような処で、この町周辺のレストランにはたくさんの日本人が入り込み、料理修行に勤しんでいます。そのことをビビッドに書き記した本が井川直子さんの「イタリアに行ってコックになる」(柴田書店 2003)。私がよく行く京都のカッチャトーリの永田シェフもその本に登場します。

ちなみにAlbaの隣のBraはスローフード運動発祥の地として知られ、スローフード大学なるものまであるそうな。そこにある某レストランに行きたかったのですが、夏休み中で残念。代わりに私たち夫婦が訪れたレストランの話は後日とし、まずはセグウェイの話。

愉しきSegway

Albaの旅行案内を調べていると、AlbawayTourという会社がセグウェイを使った観光ツアーを催行してるのを知りました。早速Albawineというコースに申し込むと、その日その時間帯には他に客がなく、完全貸し切り状態。

セグウェイは電動2輪車ですが、自転車のような前後2輪ではなく、真横に2輪。その間に足を載せる台があり、真ん中にハンドルのような1本の柱が立っています。詳しいスペックはこちら

柱状のハンドルを前に倒すと前進、元に戻すとストップという簡単操作。右左に旋回する時はハンドルと体の傾きでコントロールできますし、坂を上る時はハンドルを少し大きめに前倒しすれば馬力が出ます。自転車に乗るより簡単。スペックによると、最高20km/hは出るとか。

ツアーではこのセグウェイの乗り方の練習を約15分間くらい行って、いきなり一般路上へ(日本ではSegwayでの公道走行禁止です、念のため)。イタリアでも珍しいのか、道行く人、カフェで休む人の好奇な視線を受けながら街中を走り抜けて行きます。そしてアルバ周辺のワイン畑の丘へ。

ワイン畑のある丘をアップダウンしながら、ドルチェットやバローロなどの畑を抜けていく時の爽快さ。自転車より遅くても馬力があるので坂道でも苦労なし。そよ風を体に感じながら、思わずファンタスティック!って口に出す位、愉しい気分になりました。空の青さ、自然の緑が綺麗なこと、Segwayという道具の面白さ、加えてSegwayのスピードのゆったりさが、自然に溶け込むような感覚に至らせたのかも。

たかが電気じゃないか

風を切ってワイン畑を電動のセグウェイで走りながら、この電気って原発で作る電気は似合わないなあなんて、動力の電気のことに思いを馳せました。

私たちの生活には電気が必要です。少なくとも現代はそうです。でも、その電気を作る方法は水力、火力、風力、太陽光、太陽熱、潮力、地熱・・・・といろいろありで、何も原子力発電に頼らなくてもいいはず。いや、電気を作るだけならシンプルで危険の少ないものを選ぶのが賢い方法ではないでしょうか。

化石燃料では天然資源の枯渇が心配? 石油石炭ならそうかもしれません。でも、天然ガスならまだまだ先は長いし、太陽エネルギーなら無尽蔵に近い。

コストが安いから原発がいい? まさか! それは真っ赤なウソ。正攻法で計算しても原発は火力などよりも高くつくことが研究者の報告で明らかになっています。ウランなどを採取する時の自然破壊や人体被害、運転中の労働者被曝、使用済み燃料の数十万年以上に及ぶ管理費用等を計上すれば、コストが安いなんてどこから出てくるのか。核燃料の再処理なんて世界中が既に諦めたものを日本だけが進めようとしているのは軍事目的なのか。いずれにしても、原発のコストが安いというのは全くのゴマカシです。

おまけに、一度事故ると天文学的な賠償費用がかかります。これだってコストだし、いやコストというより青天井の破局代金。今回の東電福一原発でそのことを思い知ったはずじゃないですか。

それとも、フクシマの被害はなかったことにして、北海道のように原発再稼働の道を選ぶんですか? あるいは、福島の人たちにこれから何年続くかわからないような面倒を押しつけてしまえば議論はオシマイなんですか? だったら滅茶苦茶。でも、いまだに原発が必要なんて声が聞こえてくるのは、原発を動かしたい人々が握っているマスコミを信じる人が多いせいでしょうか。

なぜ、たかが電気のために私たちの人生や命や未来を賭ける必要があるのでしょうか? 

そんな質問を発すること自体、アホらしい。

Segwayの電気を考えていて、そんなことをあれこれ考えてしまいました。変といえば変ですが、どこへ行っても311以降の社会から逃れられないということなのでしょう、きっと。