想定外  その1

.opinion 3.11

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)とそれに引き続く福島の原発事故について、「想定外だった」とよく聞きます。その想定外っていったいどんな意味なんでしょう? 文字通り想定していなかったってこと? それとも、考えはしたが想定すべき範囲からはずしたということ? 津波に関してはどうやら後者。そういう意味で人災だと断じざるを得ません。(追記3/24 あり)

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想定外、想定外という学者や専門家の顔には、力不足で恥ずかしい・ご免なさいという雰囲気がほとんど感じられません。むしろ、想定外の震度だった、想定外の津波だったと説明することで、天災だから仕方がない・自らに責任はないと開き直っているような感じ。ホンマでっか? もし、地震や津波の専門家が今回の津波を想定外というなら、彼らには専門家の看板を下ろしてもらわなければなりません。

具体的に津波の話でいきましょう。三陸地域は昔から津波に襲われてきた場所です。ちょっと地震の記録を紐解けば、ここ百数十年でも大きなものが2回起きています。その時の津波の高さは?

まず、1896年(明治29年)の明治三陸地震では マグニチュード8.5、死者2万人超、そして津波の高さは大船渡市綾里(りょうり)で38.2m、吉浜で24.4m等。宮古市重茂で18.9m、田老で14.6m、釜石で約8mだったとのこと。次に1933年(昭和8年)の三陸地震ではM8.1 津波の波高は綾里で28.7m等(国立天文台「理科年表」(丸善)等)。過去115年の間に起きた津波の高さは5mとか10mというレベルではなく、28mとか38mなんてトンデモナイ高さ!

地震学者や津波の防災専門家だけでなく行政当局がこの事実を知らなかったはずがありません。彼らがいう想定外というのは、知っていたが考慮に入れなかった、ということなのでしょう。つまり、「想定外」というのは、「史上初」とか「過去最高」という意味ではなく、想定から外した、ということです。

じゃ、なぜ「想定外」にしてしまったのでしょうか。28mとか38mの津波は一部地域だけの話で他の場所ではもっと低くなるとか、そんな大津波を想定したら高層ビルのような防潮堤を作らなければならなくなり、それは現実的ではないという考えだったのでしょうか。また、巨大な津波による浸水冠水を問題にすると、海岸線からかなり離れた処まで人が住めなくなるというのもあるでしょう。

非常に高い津波を前提にした地域計画が困難を極めるというのは、まぁわかります。でも、当局の作った防潮堤の高さで津波が収まるというのは単なる期待でしかありません。となると、大事なことは、情報公開。10mの防潮堤では50年に一度は甚大で悲惨な津波被害に襲われる危険性があるということを行政や防災学者は住民に伝えていたのでしょうか? 

むしろ、一定の防波堤を作ったからとか、避難の予行演習を行ったから大丈夫、などという幻想を住民に与えていたのではないでしょうか? 過去に起きた巨大津波に町はとても耐えられないと知っていたら住民の対応は違っていたのでは? まして、そんな巨大津波が起こる可能性がある場所に原子力発電所を作るなんて賛同できたでしょうか? 

それにしても、この地域を担当する防災関係者はいったい何をしていたのか? 過去の津波高を無視したような防災計画を策定したのは誰? 防災学者は10m程度の防潮堤で大丈夫だと判断していたのか? 過去の津波被害を考慮していないのに、いざ巨大津波が来ると「想定外」としてしまうのではあまりに無責任です。想定外派の学者や行政担当者は住民に非を詫び、残りの人生で償っていただきたい。

被災地の復興はこれから始まります。もう誰もが三陸で地震が来れば10mを超えるような大津波があることを理解したはずです。復興とは津波で流された場所に以前と同じような建物を造ることなのでしょうか。それとも、しっかりとした土地計画のもとで、高台で安全な生活ができる場所を造っていくことなのでしょうか。後者なら、早々に明確なビジョンとリーダーシップが必要となります。そして、住民にも思い切った決断が必要とされるのではないでしょうか?

(追記 3/24)
朝日新聞によると、津波が想定以上だと気づいた人の機転でより高台へ避難し救われた例もあるそうです。想定よりも大きいと感じた人が多かったでしょうが、すぐに避難場所変更という決断は誰にでもできるわけではない。でも、機転をきかせたリーダーの鈴木享さんは素晴らしい。ここにも何か問題解決のヒントがありそう。