フランス料理と批評の歴史

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フランス料理と批評の歴史―レストランの誕生から現在までタイトル通り、フランス料理に関する批評史の紹介。知らないことがいっぱいで知識吸収という面では面白かったのですが、未だに料理業界は脱亜入欧から抜け出していないのかと思ったりもします。

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この本では、ガストロノミーという概念の登場から筆をとり、18世紀末から19世紀に登場したカレーム、グリモ、サヴァランという3人をとりあげています。ブリヤ・サヴァランしか知らなかった私にとって、この本は実に興味深い内容が満載。フランス革命を挟んだ食文化の変化を3人の視点から紹介する下りは読み応えがあり、貴重なものです。勉強になりました。

またミシュランとゴー・ミヨーの登場や展開、そして現在を紹介する下りもなかなか。私なんか、ミシュランは宣伝書だと思って観ているからいいけど、あれを評価基準のしっかりした評価診断書なんて思っている人には「毒」になるかもしれない点を過小評価しているような気がします。まぁそれは著者の立場からは仕方ないのでしょう。

とにもかくにもフランスのレストラン料理について知りたい人には実に有益で面白い本となるでしょう。それはそれとして私はこの本を読みつつ、別のことを考えてしまいました。それは次のこと。

日本ではフレンチとかイタリアンという云い方をします。なぜ分けなきゃアカンの? 一方、今業界で注目されているのはこの本でも書かれているように一部の著名スペインレストランの料理。それをスパニッシュとかエスパーニャって言います? 言いませんよね。そこに「フレンチあるいはイタリアン」という呼称の危うさ、あるいはマヤカシあり、と私は考えます。スペイン料理では訴求力が少ないのか、お金に繋がりにくいのでしょう。

なぜ日本ではフレンチとかイタリアンって分けるのか?
要するにそれは分類分け。棲み分けと云ってもいい。憧れのヨーロッパの雰囲気を醸す、その料理というイメージを与え、日頃食する土着の和の食事とは違うものだと伝えつつ、ハレの気分を誘導するというわけ。結果、区分けによる料理業界の利益配分の確実さに繋がっていくというのは言い過ぎでしょうか。本家フランスやイタリアに区分けがあるとすればクラシック風か今風か、その程度でしょうし。

エル・ブリの一日―アイデア、創作メソッド、創造性の秘密私思うに、料理が美味しければ、フレンチであろうがイタリアン、スパニッシュとか和食であろうが何だっていいじゃないですか?素材が違えば調理方法も違うのは当たり前。人の好みもいろいろとくれば国名で分類分けする必然性は食べる側ではなく、業界側の言い訳に他なりません。そんな区分けを超えて、伝統は伝統として、それをハイブリッド化したりフュージョン化して、新しい美味しさを追求してほしいと思うのは私だけではないはず。あ、そうそうフィレンツェの中央市場にはキッコーマンが売られていましたが、イタリア人の方がよっぽどフュージョンかもしれません。

さてさて、今後フランス料理いやレストラン料理はどう動いているのか。この本ではそのことについては何も教えてくれません。スペイン系の進出で本家フランス料理が揺れ動いている…なんて解説されても、スペイン系が世界を席巻するのかどうか。そのスペインの雄であるエル・ブリのフェラン・アドリアさんが疲れてヤンペしてしまった現在、先行きは不明ですし。

本は内容的に面白かったのですが、きついことを云うなら、料理そのものについての洞察が浅いような読後感が残りました。関連業界には脱亜入欧を乗り越え、この国の美食を作り出してほしいものです。